It Was Fifty years ago today

 母が偶然つけていたAMラジオから唐突にビートルズのPenny Laneが流れてきました。普段は演歌とか、昭和歌謡とかしか流れない時間帯のはずなのに・・・。一体何事? と思っていたら、なんでもビートルズのSGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BANDの発売50年を記念して、またしてもデラックス・エディションだかリミックス盤だかなんか知らないけど、新しいアイテムが発売される(された?)んだか。しかしアルバム収録曲ではなく、同時期にレコーディングされたシングル曲、しかもアバンギャルドなStrawberry Fieldsの方じゃなくって、聞きやすくて親しみやすいPenny Laneの方が流れるってのは、いかにもAMラジオっぽいです。

 「ロック気分」から遠ざかって久しく、こういうニュースに疎いから全く知りませんでした。しかしまあ、相変わらずこういう「便乗商品」がたびたび発売されて、そのたびにお祭り騒ぎ、大騒ぎ、21世紀以降何度も見てきた光景です。もはや「蚊帳の外」の私には「ああ、相変わらずやってるな」と思わず嘲笑したくなるようなニュースです。というか、「ロック気分」まっただ中だった頃から私は「リミックス」「リマスター」「スペシャル・エディション」とかって、あんまり興味が湧かなかったものですけど。

 そしてロック雑誌も、ロック系サイトもほとんど見ないので分からないけど、きっとまた大騒ぎなんでしょう。でもそこでふと思う。確か私がビートルズに本格的にのめり込むきっかけも実は「便乗商品」だったはず。1987年、ビートルズに興味を持ち始めた頃、ビートルズの全アルバムのCD化がはじまりました。そして巻き起こったビートルズ再評価ブーム。いや、当時は「巻き起こった」と思い込んでいたけど、今思えば明らかにテレビ、ラジオ、音楽雑誌などが煽っていたし、きっと仕掛け人もいたはず。私はその「煽り報道」につられて興味を持った。1987年はまさにSGT.PEPPER'S発売の1967年の20年後、つまりSGT. PEPPER'Sの歌いだしの歌詞、It Was Twenty Years Ago Todayそのものの年だったわけで・・・。実は自分自身も「便乗商法に釣られた」クチなんだなと。

 今ではビートルズの曲は音楽の教科書に当たり前に載っていたり、「ビートルズの歴史について」の授業もあったりすると聞きます。そうやって授業で興味を持った、そんな人がこのアイテムを買って聴いて、あの頃の私のようにビートルズによりのめり込んでいく、そんな世代の人もきっといるんだろうな。だったら「便乗商品」かもしれないけど、目くじらを立てて否定することもないんだろうなと思えます。私は表のサイト(こちら)に書いている通り、ビートルズの歴史の中でもサイケ期が最も自分の趣味から遠くって、だから以前はこのアルバムの「過大評価」を疎ましく思うことも多かったものです。そんなことを思う時「久しぶりにゆっくり子のアルバムを聴いてみようか」と思ってしまいます。もちろん、新しいアイテムは買いませんが。

 しかし私がビートルズにのめり込んだのはIt Was Twenty Years Ago Todayの年だったのに、今年はなんとIt Was Fifty Years Ago Todayですか・・・。もう30年、いやはや信じられません。

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# by stakec68 | 2017-06-19 18:07 | 音楽ネタ

 テレビをほとんど見なくなった母が、毎日昼間楽しみに見ているのが倉本聰脚本の「やすらぎの郷」なるドラマ。近年はテレビをつけても全く知らないタレントしか出ていないけど、この番組は自分でも知っている人ばかりが出ている、しかも超豪華キャスト。また同年代の年寄りをテーマにしているので、共感できる点も多いんだとか。そんな理由ですっかりテレビを見なくなった母が毎日楽しみに見ているというわけ。さすがに私は見ないけど、なるほど、出演者を見ると往年の大スターばかり。一方で「この人たちが年寄りの役?」と衝撃を受けてしまいます。そんな豪華出演者の中に名前を連ねていた一人が、野際陽子・・・。

 正直、私はこの人が出ているドラマ、あまり見たことがありません。バブル期以降は「姑役、お母さん役の定番女優」だったそうだけど、私はバブル期=1980年代末以降のドラマはほとんど見ていないので、あまり馴染みがありません。だけど実は、昨年末にこんなもの(こちら)を書いた通り、最近はずっと東映チャンネルで「キイハンター」を見ています。リンク先に書いている通り、モノクロ時代のこの番組は今回が初見。出演者がみんな若々しくて、丹波哲郎は後年と比較するとアクティブだし、千葉真一もアクションは「いつもの千葉真一」だけどやっぱりまだ若々しくて「お兄ちゃん」というイメージ。そして津川啓子=野際陽子は、美しくておしゃれで、小悪魔っぽい可愛さがある。いや、この時代に洗練されていて生活感がなく、西洋っぽい雰囲気を醸し出すキャラは新鮮。いや、カッコいいなと思い、私の中で「再評価ブーム」が起こっていたのに・・・。

 そんな矢先の訃報。もちろん、現在放映中のドラマに出演中の現役バリバリの女優が、という衝撃もあるけど、同時に、現在進行形で再評価していた女優が、ということの方が私にとっては衝撃でした。事実、昨日の夜も帰宅後、録画した「キイハンター」を見たばかりだけど、実はそのストーリーも津川啓子主演の話だったので…。ニュースや情報番組では姑役ばかりが取り上げられ、もてはやされているみたいだけど、私にとっては「あの津川啓子が・・・」一色です。そんなこんなで、昨日から彼女の歌う「キイハンター」のテーマ曲、「非情のライセンス」がずっと頭の中を回っています。またしても「物心着いた時から当たり前のようにいつも見ていた」人の一人がいなくなってしまいました。この数年、何度も味わった寂しさを、またしても感じています。

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# by stakec68 | 2017-06-16 23:30 | テレビ、芸能

 もう2008年のことになるけどこんなもの(こちら)を書きました。1980年代にほんの一時期ゴルフをテレビ観戦していたけど、1980年代末にはすぐに見なくなったと。一方でその前言を覆すかのように2010年3月にこんなもの(こちら)を書きました。この2010年のシーズンから私はまたゴルフのテレビ観戦をはじめました。リンク先にはあまり詳しく書いてないけど、じゃあたった2年でなぜ気持ちが変わったのかというと…。

 2009年の11月か12月頃、スポーツ・ニュースを見ていたら「国内女子ゴルフ・ツアーの賞金女王争いが熾烈」しかも「最終戦までもつれ込む混戦に」と。へえ、興味のない競技だけど、なんか盛り上がってるなあ。1~3位まで全員が20代前半の日本人選手ばかり。横峯、諸見里、有村、へえ、昔と随分イメージが違って華やかだなあ。決して美人じゃないかもしれないけどみんな「街で見かける普通のお姉ちゃん」レベル。ウェアもキャディーバッグなどの道具もカラフル。自分の知ってる女子ゴルフといえば樋口、岡本、さらにその後の世代を思い出しても「屈強で不愛想なオバちゃん」みたいな人が多かったし、華やかさは微塵もない世界。随分変わったんだなあ。2000年代以降は地上波のテレビのスポーツ・ニュースすらほとんど見なくなっていたので今時の選手の姿をまともに見たのは、実はほぼはじめて。ちょっとしたカルチャーショックでした。しかもこの年の賞金女王争いも最後の試合の最終ホールまでもつれ込むドラマティックな展開。一方でその「女子ゴルフのイメージを大きく変えた」先駆者でもある宮里藍が、アメリカ・ツアーに参戦して活躍しているニュースも連日伝えられていました。ひょっとして、今の女子ゴルフって面白いのか? 盛り上がっているのか? だったら来年(2010年)から見てみようか。そう思ったことが2010年からまた私が、前言を翻してまでゴルフのテレビ観戦を唐突に再開したきっかけでした。

 だから私は女子ゴルフのイメージを大きく変えた先駆者である宮里藍の登場→ブームをリアル・タイムで見ることが出来ませんでした。もちろん2002,3年頃からスポーツと関係のない芸能ニュースやワイドショーで、まだ高校生だった彼女の活躍は連日伝えられていたけど、私には「またミーハーな話題で盛り上がってるな」くらいにしか思えなかったので「スポーツ界の出来事」として見てはいませんでした。アメリカ・ツアーでの活躍の報道は何度か見たけど、「全く興味のない競技の話題」なので特に気に留めたこともなかった。そしてようやく私がゴルフへの興味が再燃した2010年には、既に彼女はほとんど国内の試合に参戦しなくなっていたので、テレビで彼女の活躍を見る機会もほとんどありませんでした。しかも2012年頃から海外でも、たまに日本に帰ってきても、あまり活躍できなくなってきたし。だから彼女の全盛期に「あと一歩間に合わなかった」というわけです。

 だから私は彼女のことを思う時「どうしてもっと早く気がつかなかったんだ」といつも後悔していました。私が見始めた2010年以降の女子ゴルフは毎年海外勢にやられっぱなしだし、ルックスやファッションは宮里の世代以上に派手で華やかになったけど、肝心のレベルはむしろ下がっているように思われます。今年4月以降「土日は出勤」の生活になって、今ではテレビで見ることがあまり出来なくなったけど、別に「録画してまで見たい」気分にまではなれません。宮里が登場して、その後、横峯、上田、有村らが登場して一気に華やかになり、同時に連日熾烈な優勝争い、賞金女王争いが繰り広げられた、そんな2003~2009年くらいが最も面白かったんじゃないか、今ではそう思えます。海外勢や、上の世代=旧世代の人たちに勝つ、海外でも勝利、そして世界ランク1位に・・・、そんな選手が日本にいた、しかも大昔じゃなく、この10年以内に。今では考えられない。やっぱり、見ることが出来なかったことが悔やまれます。

 とはいえ、意外なことに「海外で勝利」といってもメジャー・タイトルは獲れず、世界ランク1位にはなったけど、日本でも全米でも一度も賞金女王にはなれなかった。だから実績だけ見れば、実は日米で賞金女王になった岡本綾子、通算勝利数では大きく上回る不動裕理、海外のメジャー・タイトルを獲った樋口久子などの方が上なのかもしれません。だけあの「地味なオバサンだらけの世界」だった女子ゴルフを明るく、華やかに変えた、またファンやマスコミへの対応のよさで多くの人に愛された、そのことは数字や実績では測れない大変な功績だと思います。「引退」の報道を聴いた時「アメリカでは無理でも、まだ国内ならやれるのに」と思ったし、「もったいない」と思ったけど、本人の決めた「引き際」なので回りがとやかく言うべきではないと思います。実にきれいな「引き際」、この人らしいと思います。一方で「一歩間に合わなかった」ことが改めて悔やまれます。また今の「華やかだけど、海外勢にやられっぱなし」な国内ツアーを見るにつけ、早く彼女のような強くて華のある選手の登場を願わずにはいられません。

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# by stakec68 | 2017-06-02 23:52 | スポーツ・ネタ

 社会人になった20代の頃から、お菓子はほとんど食べなくなりました。家でコーヒーを飲むときに摘まめるチョコレート、ビールのお供になる柿の種や豆菓子、喉の調子が悪い時に舐める飴類は年に何回かレベルでは買うけど、腹が太るスナック菓子はおそらくもう20年以上は買ってないと思います。

 でも小学生~中学生の頃はスナック菓子が大好きでした。しかも袋物の菓子は一度開封すると一気にすべて食べてしまう。私が小学生の頃、急激に太ったのは「スナック菓子の食べ過ぎのせいだ」と両親はもちろん、学校の先生や医者、親戚のオッサン、オバサン、近所の大人の人からもよく指摘されたものです。おそらく私が20歳を過ぎた頃からあまりスナック菓子を食べなくなったのは「食べるとまた太るから」と思ったことが一番大きかったのかもしれません。さらに30歳を過ぎた頃から急に本当に少食になり、あまり多くの量を食べられなくなりました。こうなると間食にスナック菓子なんか食べてしまうと腹が太りすぎて食事が全く食べられなくなる。だから「スナック菓子なんか買っても食べきれないから」ということで、すっかり買わなくなったというわけです。

 ちなみに私が小中学生の頃に好きだったスナック菓子は、油で揚げていないあっさりしたもの。だからポテトチップスのような揚げたお菓子よりも、同じジャガイモを使ったスナック菓子ならサッポロポテトやバーベキュー味の方が好きでした。そしてそれと同じくらい好きだったのが、実はカール、しかも「うすあじ」でした。なので、普段「スナック菓子を買おう」と思った時に真っ先に買うのは今挙げた3点。特にカールは1月に5~10回くらいは買って食べていた記憶があります。しかも買うのは決まって「うすあじ」。チーズ味とカレー味は匂いがきつく感じられたので、ひたすら「うすあじ」ばかりでした。

 特に「遠足にもっていくお菓子」を買う時、私は決まってカールの「うすあじ」を買っていました。大抵「200円以内で」とか制限が設けられる。そこでその金額を持って、5年生の頃までは校区内にあったスーパーに行き、計算しながらお菓子を選ぶ。その時、カゴを持って真っ先に向かうのはカールの「うすあじ」の陳列されている棚。まずはカールを買う、そして残りの予算で他の物を買う。いつもそんな風にしてお菓子を買っていたものでした。だけどお菓子を持って行っても、実は弁当を食べるが精一杯。せいぜい食べられるのはチョコレートとかの小さめのお菓子ばかり。ボリュームのあるスナック菓子など食べる暇もない。結局カールはそのまま自宅に持ち帰り。そして帰宅後、開封して食べる…。いつもいつもその繰り返しでした。それでもなぜか買ってしまう、それが私のカール「うすあじ」の思い出です。

 しかし袋が大きく、しかもボリュームがあるので、一度開封して全部食べると異常に腹が太る。だからといって開封して数日置くと、意外と早く湿気てしまう。そんなこともあり、高校以降「お菓子離れ」した私が、カールを買うことはなくなりました。最後に食べたのはおそらく高3の頃、文化祭の準備のために放課後みんなで残って準備した時、誰かが買ってきて開封して袋を大きく開いて、「さあ、みんなで食べよう」と言われ、手を伸ばした時ではないかと思います。でも考えてみれば、この頃までは、ポテトチップスと並んでこんな風にみんなで集まった時に「袋を開いてみんなでお菓子を食べる」時の定番のお菓子だったように記憶しています。

 昨日ネット上で「カールが売り上げ不振のため、東日本での販売を終了、西日本限定発売に」とのニュースを見かけました。いや「普段買ってなかったくせになくなってしまうと聞いて急に寂しがるな」という人もいるでしょうけど、さすがにこのニュースには衝撃を受けました。確かに今はポテトチップス系のスナック菓子が主流になったし、「みんなで大きな袋を囲んでお菓子を食べる」習慣もなくなったので袋菓子の需要が下がるのも理解できるし、メインのターゲットだった子供が減っているし、だからなんでしょうけど、あの頃、間違いなく「スナック菓子の定番=あって当たり前のものがなくなる」ことには寂しさを感じずにはいられません。50年近く続いたお菓子ということになると最早「文化」といっても過言ではないわけで・・・。でも寂しい気持ちの一方で、あの頃あんなに夢中だったのに、30年近くも遠ざけていたことを申し訳なく思ってしまいました。まあ、私は九州=西日本在住なので、今まで通り店頭で見かけることあるだろうけど、「全国区」の商品ではなくなるわけだし、そうなるといずれなくなってしまう恐れもあるわけで…。思わず「今度スーパーに行ったら久々に買ってみようかな」と思った次第です。といっても、30歳の頃異常に少食になった今の私の胃袋が、果たして受け入れてくれるかどうか・・・。

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# by stakec68 | 2017-05-26 18:27 | 社会

 前から書いている通り、1990年代末~2000年代初頭にかけて「ボクシング離れ」していた私。理由も何度か書いてきた通り「団体乱立、ベルト乱立で世界チャンピオンの人数が多すぎて、ベルトの重みが感じられなくなったこと」「某兄弟のせいで茶番、単なるショーになり下がったような気がしていたこと」が最大の要因。特に「ベルト乱立」のせいで日本人の世界チャンピオンの人数が異常に多くなってしまったし、「誰がチャンピオンなのか?」すら分からなくなったが最も大きいです。1980年代くらいまでは、日本人のチャンピオンって2,3人しかいなかったし、チャンピオンの名前は当たり前のように全員覚えられたものなのに。

 ただ一方でここで何度か書いてきた通り、この4,5年は内山、山中、八重樫、井上らの試合を見ているうちに「いや、意外と頑張ってるし、熱い戦いをやってるじゃないか」ということでテレビ観戦する機会も増えてきました。そして一昨日と昨日、土日の夜に2日連続でフジテレビが「ボクシング・フェス」と称して、井上、八重樫、そして遂に世界タイトル初挑戦になる元五輪金メダリストの村田諒太の試合など、世界タイトル戦数試合を同じ会場で行って、生中継するとの情報が。例によって出勤なので「録画予約→結果をシャットアウトして帰宅→帰宅後、録画したものを視聴」しました。

 初日の目玉は村田諒太がはじめて世界タイトルに挑戦する試合。プロになった当初は「ルールも微妙に違うしアマチュアで強くってもプロで通用するのか?」疑問を持ってた私だけど、デビュー戦でいきなり日本ランカーを圧倒して勝利したし、その後も海外の選手を相手にして徐々にプロらしくなっていくのを見てきました。なのでまさに「満を持して」「しっかり準備して」挑んだ世界タイトル戦だったので「きっと勝てるだろう」と信じていました。

 そして試合も村田が終始優勢で4ラウンドにダウンを奪う。まあ、KO勝ちも時間の問題と思いきや、相手のエンダムはクリンチで逃げたり、倒れそうになったらロープを背にしたり、フットワークを使って逃げたり、当たらないのに無駄にパンチを出したりで逃げて、粘って…。だけどまあ、決定打は村田の方が多かったし、相手は逃げてるだけ、柔道なら「指導」が出るようなレベルなので、判定になっても当然勝てる。そう思ったのに…。

 まさかの判定負け。まあ、ボクシングの場合「不可解判定」って昔から多くて「微妙な勝負だったのに大差がつく」「ホームの選手に有利な採点になる」「ランク上位の選手が有利な採点になる」のは見てきました。でも「ホーム」は村田の方だし、「大差で村田が勝つ」レベルの試合だったのに、逆に「大差で相手が勝つ」のはあまりにもおかしい。私が今まで見たボクシングの試合の中で、いや、すべてのスポーツ観戦歴の中でも「かつて見たことがない」レベルの「不可解判定」でした。場内もブーイングとかヤジとではなく、「えーっ」というような驚きのような声とため息に包まれる。こんな「空気」は今まで見たことも、聞いたこともありません。裏で不正な金が動いた?脅迫か何かあった?そう疑わずにはいられないレベルでした。

 翌日の試合の目玉は八重樫と井上。いつも「真っ向勝負」を挑み続けていた八重樫、ロマゴン戦(こちら)ですっかり彼の試合に魅せられた私、当然注目していたけど・・・。なんと1ラウンドKO負け。本人は口にしていないけど、ずっと「真っ向勝負」ばかり挑んできたことだし、そろそろ体力的にも厳しいのでは? いや、かつての彼の試合運びが好きだったからこそ、もう無理はしないで欲しい、そう思ってしまいました。

 そして井上尚弥。相変わらず、いつも通り強すぎました。2日間、様々な試合を見たけど、やっぱり桁外れに上手い、早い、強烈・・・。そう感じました。最早「強すぎて相手をみつけるのが大変」なレベルになっているのでは? 多くの評論家が言うとおり、日本ボクシング史上最強レベルではないかと思います。

 だけどそんな井上の試合、さらにそれ以外の試合を見ても、やっぱり村田の試合の「不可解判定」が頭から離れません。一部の評論家曰く「WBAは決定打云々よりも純粋な手数が多い方を評価する傾向にある」との声も。だけど「優勢の者」「押していた者」「試合をリードしていた者」「決定的なダメージを相手に与えた者」よりも「当たろうが当たるまいが、とにかく手を多く出した方が勝つ」ってやっぱり変です。格闘技だから誰が見ても単純明快に「強かった方が勝ち」でないとおかしいでしょう。フジテレビが「フェス」と評して煽っていたし、週末のゴールデンタイムだし、普段はボクシングを見ない人も「ちょっと見てみるか」って感覚で見ていたはず。そういう人がこれを見て「ボクシング、面白いな。今後も見たいな」と思うでしょうか。ただですら某兄弟のせいでマイナスイメージばかりだったボクシング、せっかく多くの人が見る「フェス」だったのに、こんな分かりにくい、不可解な結果ではまた人が離れてしまいかねません。

 しかしそんな「大騒ぎ」なマスコミ、ボクシング関係者、そして私たち視聴者や観客とは真逆に、不平不満を一切言わず、不服そうな態度も微塵も見せない村田の態度、発言を見て清々しい気分になりました。私服姿でエンダムと微笑む写真も見かけました。五輪後、比較的年齢がいってからプロ転向だったから、プロ転向から世界タイトル戦に向けて計画を立てて準備して積み上げて実現させた試合だったはず。なので「次はまだ分からない」と発言したとの情報もあります。まあ、決めるのは本人だし、どんな結論を出しても周りがとやかく言う権利などない。だけど私は、そんな試合後の発言、態度を見るにつけ「次のチャンスをあげたい」「ぜひタイトルを獲らせたい」「勝たせてあげたい」そんな気分にさせられました。

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# by stakec68 | 2017-05-22 21:15 | スポーツ・ネタ

 先日述べたとおり、4月以降「人が休んでいる時は休めない」生活に。つまり土日祝日は休めなくなってしまいました。まあ、1990年代はずっとそういう生活を送っていたし、休みだからと言って家族や友人と遊びに行くこともない私なので、別に「人が休んでいる時にどうしても休まなきゃいけない」理由もないし困ることもないだろうと。だけどひとつだけ「困るかも」と思っていたのが、テレビのスポーツ観戦。

 基本的に土日に大きな大会や試合のあるスポーツが多いので、それを見ることが出来なくなるのがちょっと困るかなと。もちろん「録画予約→ネットなどで一切結果を見ないようにして帰宅→帰宅後に視聴」という方法もあるけど、やっぱり「生で見る」ことに意義があるわけで。だけど4月以降ここまで「予約してまで見たい」大会や試合は皆無で、結局一度も「帰宅後に録画したものを見る」機会はありませんでした。まあ、マラソンとか駅伝のシーズンが終わったこともあるし、スーパー・ラグビーもJ-Sportsでよくやっているけどあまり結果も芳しくないし、地上波の中継はプロ野球とかフィギュアとか大相撲とか、興味のない種目ばかりというのもあるし。

 国内サッカーには相変わらずうんざり状態だし。今年からJリーグがネットの動画配信サイトと契約したこともあってか、CSも地上波も中継が激減している様子。その上、相変わらずサポーターの暴走とか、一部の選手が人種差別的な行為を行ったり、にもかかわらずいい加減な処分しか下せなかったり、別のチームではスタッフに暴行を働いた選手がいたりで・・・。この2,3年「もううんざり」と思って遠ざけていたけど、最早末期状態ではないでしょうか。そこそこ客が入ってるのかもしれないけど、そのうち「ごく一部の人しか見ない」リーグになってしまうんじゃないか。そんなニュースを見るにつけ「当分見たくない」と思ってしまいました。特に人種差別選手への処分、本当にこれで終わりなのか? だとすると最早「狂ってる」としか思えません。しかもまた「あのチーム」の仕業。いい加減「J2降格」とかの厳罰を降さないと分からないんじゃないでしょうか。

 また女子ゴルフでは、ビジュアルばかりでまだ何の活躍もしていない韓流選手が「ゴリ押し」報道されている様子。まあ韓国人選手が強いのは認めるけど、この人の場合は全く過去の実績や成績が話題になることがないので、本当に「ビジュアルだけ」なんじゃないかと疑ってしまいます。そんな選手を多く取り上げて報道して過熱気味に煽るのを見ていると、さすがに恥ずかしくなってしまいます。ボミとかハヌルとかは、一応「元韓国ツアーの賞金女王」という看板を引っ下げての来日だったし、実際来日以降成績も上げているし、外面だけか本心かは別にして日本に溶け込もうと頑張っているのは認めるけど、この人の場合は実績が一切報道されてないし、まだ何もしてないに等しいのに。というわけでなんとなく気持ち悪いので、女子ゴルフを「日曜日の昼間に録画して、帰宅後見よう」という気も起きなくなりました。とても「スポーツ中継」とは思えないし。

 ということで、休みの日に家にいなくなると唯一「困るかも」と思っていたスポーツテレビ観戦ですが、今のところ「困る」ことはありません。今年はワールドカップ・サッカーもオリンピックもない年なのも幸いしたようです。まあもしも見たいものがあれば、録画して帰宅後に見れば大丈夫でしょう。

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# by stakec68 | 2017-05-15 16:47 | スポーツ・ネタ

 ちょっと前にネット上で拾ったネタだけど、テレ朝で日曜夜9時から放送されていた「日曜洋画劇場」が2月に終了、土曜夜9時から放送されていた「土曜ワイド劇場」が4月で終了したんだとか。私はすっかり「地上波テレビ離れ」して久しいし、まして年明け以降あまり休みもなくって忙しかったので、実は最近知りました。正直、私は今も昔も「映画音痴」特に「洋画音痴」なので前者を夢中で見たことはほとんどなかったし、後者も「江戸川乱歩美女シリーズ」とか「西村京太郎トラベルミステリー」のように、「見たい」内容の時以外はほとんど見なかったので、そんなに思い入れがあるわけでもない。

 だけどどちらも亡き父がよく見ていたので、それを横でなんとなく見流していた記憶はあります。土曜日の夜9時、あの印象的なテーマ曲が流れるのを聴いたり、殺人事件が起こったり、エログロなシーンが飛び出したり(1990年代以降は減ったけど)するのを見ると「ああ、明日は休みだなあ」という安心感というか、ゆったり、のんびりした気分になったもの。同時に「今日はちょっと夜更かしできる」と少し楽しみだったりしたたもの。また日曜日の夜、淀川長治による独特な語り口の小難しい(映画音痴で洋画音痴の私には難しかった)解説を聞くと「ああ、もう日曜日の夜もいよいよ終わりか」と寂しい気分になったし、「もう寝なきゃ」という気分になったもの。しかもこの時間に放映される映画は、1980年代まではフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」や日テレの「金曜ロードショー」と比較すると時代が古くて(1950年代くらいの映画が多かった)、マニアックな映画が多かったので「大人向け」という印象を持っていました。まさに「土曜日の夜の風物詩」「日曜の夜の風物詩」のような番組。しかも「休み前日の夜にゆったり夜更かし、ちょっとだけドキドキ=長時間サスペンス」「休みの夜の最後を飾る時間=大人向けでマニアックな洋画」って、時間と番組の内容がこれ以上ないほどマッチしていて「この時間じゃなきゃいけない」感のある番組でした。

 もちろん時代が変化して「誰もがテレビを見ている」時代でもなくなってきたので、いつまでも「テレビ黄金期」のまま同じ番組を続けるのが難しいことは理解できます。だけど、終了後にはじまった番組がいただけない。結局、後番組は土曜日の9時も日曜の9時も1週間のニュースを振り返る単なるワイドショー、ニュースショー・・・。今のテレビって、平日だろうが、土曜日だろうが、日曜日だろうが、朝だろうが、昼だろうが、夕方だろうが、ゴールデンタイムだろうが、深夜だろうが、何曜日に、何時にテレビをつけても同じような番組ばかり。しかも「ニュース」といっても三流週刊誌のような下世話なゴシップ・ネタが中心だし、社会問題を扱ったものも偏向的だし、内容が浅くて無教養だし、ほとんどバラエティのようなノリのものばかり。コメンテーターといいながら、お笑いタレント(芸人なんて名乗って欲しくない!!)や評論面したえせ知識人が単なる井戸端会議してるような人ばかり。単なる時間とお金の無駄遣い。いや、こんな番組、本当に面白いと思って制作しているんだとしたらとんだ勘違いだろう。どう見ても単なる時間の浪費にしか思えない。

 もちろん私はとっくに「地上波離れ」してるし、最早「面白い番組」なんて期待はしてません。だけど「風物詩」といえるような番組を次々と終了させていくあたりにも疑問を感じるし、しかもその後番組はことごとくそんなワンパターンな「えせ報道番組」ばかり。そのうちドラマや音楽番組も一切なくなって、「24時間ニュースショーやワイドショーだけ」になってしまうんじゃないでしょうか。いや、そんなんだったらもう、地上波テレビなんていらないでしょう。いっそのこと、もうなくなってしまってもよいのでは? 「なくなって困るか?」と聞かれれば「重大な事件事故、災害の時だけ緊急放送流してくれればそれだけで十分」という気もします。最近はスポーツ中継も専門チャンネルで見ることの方が多くなったし、それ以外の番組はケーブルテレビどころか、ネットの動画サイトの方が地上波の番組よりも数十倍面白いと思うし。

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# by stakec68 | 2017-05-08 23:44 | テレビ、芸能

何と1か月放置?

 まあ、最早ここを定期的に覗いている人なんていないだろうから問題ないでしょうけど、丸1か月放置してしまいました。「最低でも週1更新」を目標にしてきたし、この3,4年はほぼそれを実行できていたんですが。定期的に見ている人もいないだろうし、表のサイトを定期的に更新していた頃のように「常連さん」やネット上で親しくしている人もいないので、心配している人もいないだろうからまあ、いいだろうと。ちなみに決して体を壊していたわけではありません、念のため。

 プライベートにはあまり踏み込まない主義なので詳しく述べる気はないけど、実は4月から大きく生活環境が変化、それに慣れるのに精一杯だったので、ここに何か書くどころじゃなかった、世の中の出来事に関心を払う余裕もなかった、だから何も書かなかったというのが正直なところ。ようやく慣れてきたし落ち着いてきたので、5月からはまた「週1更新」を目指していきたいと思っています。

 生活パターンが変わったことで、今まで以上に忙しくなりそうだし、世の中は大型連休らしいけど、むしろ「世間一般が休んでいるときほど休めない」環境になりそう。というか「連休」自体もとれなさそうな予感。以前なら「連休があれば泊りがけ放浪」が私のパターンでしたが、母の入退院以来、家を空けるのが困難になったから、どうせ泊りがけ放浪なんてできないので「まあ、いいか」という感じ。むしろ「人が休んでいる時は休めない」ということは「人が働いている日が休み」のパターンが増えるので、「休みの日に出かけても、どこに行っても人出が少なくてゆっくりできる」のは好都合だなとプラスに受け止めています。

 まあ、そんなこんなで4月は丸1か月更新なしでしたが、また5月からは最低週1で、どうでもいいことを書いていきたいと思っています。まあ、「定期的に見ている人」なんていないだろうから、人の目を気にせずに、自分自身の生存確認のためのみに書いていきます。

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# by stakec68 | 2017-04-29 20:11 | 自分自身の話

もう17年も前になるけどこんなもの(こちら)を書いたことがありました。私は小5から小6に上がるタイミングで引っ越し、転校を経験しています。おかげで6年生の1年間だけを過ごした、ほとんど思い入れのない小学校を卒業、逆に5年間を過ごして思い入れたっぷりの小学校の卒業アルバムも手元になく、卒業名簿にも名前がありません。昨年「卒業式の思い出など何もない」と書いたのは、やはりこの体験が大きいかもしれません。逆にいうとこの3月=別れの季節になると思い出すのは、その「5年間過ごした小学校との別れ」の寂しさ、悲しさばかりです。いや、「その時は気がつかなかったけど、後で思い出して失ったものの大きさに気がついて寂しく、悲しくなった」と言った方が正確かもしれません。

 その1年~5年を過ごした小学校ですが、前から何度か書いてきた通り八幡製鉄所のお膝元のような場所にありました。その当時(1970年代後半)から既に業務縮小傾向にあったので、新たによそから転入してくる生徒よりも、父親の仕事(=製鉄関連の会社)の関係でよそに転出していく生徒の方が多かったものです。そんな中私の場合は「老朽化の激しい借家を出て、新築のマンションに移りたい」と両親が切望していたこともあっての「引っ越し」でした。いくら「新しい家に引っ越せる」といっても、なんで校区外? しかもなんでよその区に? 私は泣いて抗議したのを覚えています。当時の小学校の同級生のうち、約半分は幼稚園の頃から一緒の奴ばかり。物心ついた頃から当たり前のように一緒だった同級生たちと離れる、とてもじゃないが自信もないし、想像もできない。たった一人で知らない学校、しかもよその区(北九州は5市合併で誕生したので、区が違うだけで風土も全く違ってた)の学校にいかなきゃいけないのか。たったあと1年なのに。あと1年だから転校せず、卒業までバスを使って同じ学校に通い続けるとか、従兄弟(父方の親戚)が同じ学校に通っているので、1年間そちらに住ませてもらって学校に通う、いろんな提案をしたけどすべて却下されて叶わず。「親しい人たちともいずれ別れなければならない」、そんな当たり前のことも知らずに生きてきたので、まさに「あり得ない」事態でした。

 だけど私は転校が決まった後は動揺を隠して強気に振舞っていました。「どこに行っても学校は学校、変わらんだろう」「従兄弟の家も近くにあるし、お前らに会いたくなったらいつでも会える」、そんな発言を繰り返し、私との別れを悲しんだり、惜しんだりする連中を軽くいなし続けました。実際、当時この小学校の大運動会は5月半ばの日曜日に行われていたので「また運動会の時に来ればいい」と思っていたのも事実。だから「新しい連絡先とか、知りたい奴にはその時に伝える」「じゃあ、また運動会の時に会おう」、そう言い残して名残惜しそうな同級生たちに特別別れの挨拶もしないまま足早に学校を後にしました。いや、その時は私自身も思っていました。どうせまたすぐみんなに会える、別れはその時に言えばいい。仲のいい連中には、その時に連絡先を伝え、次に会う日、遊びに行く日などはその時に話し合えばいいと・・・・。

 ところがまさかの出来事。その「前の学校」の大運動会の当日は朝から滝のような大雨に。とりあえず従兄弟の家に行ってみると「当然中止だ」と。じゃあ順延だろう? 次はいつやるの? 日曜日ならまた来れる。ところが非情なひとこと。雨で順延の場合は水曜日と最初から決まっていたと。平日ということになると自分自身も学校なので来ることなんてできない。じゃあ、もうみんなに会いに行けない? 別れの挨拶もできない? 連絡先を教えたりもできない? ひどく落胆してしまいました。

 その翌日、転入して間もない小学校に登校。そこで「前の学校の運動会が中止になって、前の学校の友人たちに会えなかった」ことを担任や同級生たちに話しました。実はこの、6年生の1年だけを過ごした小学校は、前の学校と正反対で「転出も多いけど、転入も異常に多い」学校なので、同級生の約3分の1くらいは「途中転入」経験者でした。その連中に言われました。「前の学校のことばっかり言いすぎ、気にし過ぎ。早く馴染まなきゃいけない」と。前の小学校は4年生の頃までいた校長(こちら)がちょっとユニークな教育方針の方だったこともあり、教科書をあまり使わない授業を行っていました。その分、市内には「アンチ」な教師もいたらしく、新しい学校の校長も担任も、ことあるごとに私に「ここは前の学校とは違うよ」と嫌味っぽく言われていました。だからでしょう担任に言われました。「もう行くな、連絡も取るな。そんな暇があったら早く溶け込みなさい」。今思えば嫌な言い方だけど、そんな裏のドロドロまでは理解できなかった当時の私は素直に「そうかもしれない」と思いました。他の転入経験者にはそんなこと言わなかったのに私にだけに言っていたのは、そのあたりが理由だろうと、今なら推測できるんだけど。

 以来私は「前の学校」のことは口にしなくなりました。前の学校の友人に会いに行きたいとか、連絡をとろうとか、そういう気持ちも捨ててしまいました。夏休みのような長期休暇なら可能だったかもしれないけど、その頃にはすっかり「前の学校」云々考えることもなくなってしまいました。でもやっぱり、新しい学校には溶け込めませんでした。私自身は溶け込もうと頑張ったけど、逆に頑張りすぎて空回りしてばかり。区が違うので風土が違いすぎるし、同級生ともうわべだけで心の底から親しくなれなかったし、前の学校とは違う「教科書通り」な授業は退屈で面白くなかったし、担任の教師のことも外面だけは優しいけど、言葉の節々に冷たくギスギスした面が見えて好きになれなかったし。結局、何の思い入れも持てないままの卒業式でした。

 そこで初めて「失ったもの」の大きさに気がつきました。ああ、俺は前の学校への思い入れの方がはるかに強かった。どうせ卒業するなら前の学校を卒業したかったし、前の学校の卒業アルバムが欲しかった。もう連絡取らないまま1年以上、今や誰とも連絡なんてとれやしない。以降私は現在に至るまで、その「前の学校」の同級生に誰一人として会ったことがありません。前の学校の校区内に住んでいる従兄弟などから何人かの消息を伝え聞いたことはあるし、大学時代に地元のバラエティ番組の「街で見かけたカワイイ娘紹介」コーナーに約1名出ていた(暗くて地味でおとなしい子だったのに、本当に可愛くなっていてビックリ)のは見たし、高校時代に高校野球の福岡県大会をテレビで見ていた時に2名ほど選手として出場しているのをみかけたことはあるけどそれだけ。3,4年前に仕事の関係で知り合った方がその頃の同級生の甥だと知ってビックリしたけど、同時に「叔母なら数年前に事故死した」と聞いて逆に気持ちが沈んだことはあったけど。最初のリンクにある通り「幼馴染」というのがひとりもいなくなったのは、この時の「別れ方」が悪かったせいでしょう。今思えば痛恨。最早みんな、卒業アルバムにも卒業名簿にも名前のない私のことなど、誰も覚えていないでしょう。

 一方で6年の1年間だけを過ごしたけど、結局は馴染めなかった小学校の同級生は、ほぼ9割9分方、同じ中学校に進学しました。私がようやくこちらの同級生と溶け込めたのは、中学進学後のことでした。「転校せずにあと1年、前の学校に通い続ける」ことを両親が反対したのは「中学に入る前に新しい同級生と馴染んでおくべき」というのが理由でしたが、結果的にはそうはなりませんでした。それを思うと「もしも私が前の小学校を6年まで過ごして卒業後、中学からこちらに入学していても同じだったんじゃないか」という気もするわけで、6年生の1年だけど新しい小学校で過ごしたことって、マイナスでしかなかったんだなと思っています。

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# by stakec68 | 2017-03-27 17:29 | 自分自身の話

 朝起きてネットにPCを繋いだら、いつものようにYahooトップページが表示されました。そこに「C.ベリーさん死去」との見出しが。シー・ベリー?、誰だ?、映画俳優? 政治家? スポーツ選手?思わず考え込む。記事を開いて分かった、ああ、チャック・ベリーか。いや、すぐに分からなかったのは決して私の「音楽気分」が減退しているせいではありません。もちろん高齢=すでに90歳からこうなっても全然不思議じゃない。でも70歳を過ぎても、80歳を過ぎてもずっとライブをやり続けていたので「不死身」なイメージを持っていたし、しかもそれはすべて「金のため」とはっきり言い切っていしまうような人だったから「殺しても死なない人」と思っていたので、にわかには信じられませんでした。 

  私が彼の存在を知ったのは高3の時。表のサイトのテキストにこんなもの(こちら)を書いているけど、そこで触れている「同じクラスの女子が、クラスの出しものの劇のBGM用にとコピーしたテープを持ってきた」としている「アメリカン・グラフィティ」のサントラに収録されていたJohnny B. Goodeを聴いた時でした。同世代の人は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でマイケルJフォックスが歌っているのを聴いたのが「出会い」という人が多いと思うし、同時に当時は「洋楽ファンの中高生」が多い時代だったので、「誰かがカバーしているのを聴いた」とか、キース・リチャーズが制作した映画「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」で知ったという人も多いでしょう。だけど当時の私は極度の「洋画音痴」「洋楽音痴」だったので「初めて耳にした曲」でした。以降私はオールディーズ=1950年代のアメリカン・ポップスにのめり込んでいくけど、この曲だけはこのサントラに入っているどの曲とも「何かが違う」と感じていたし、よりアグレッシブでインパクトがある曲だと思いました。 

 その後、1987年にビートルズに目覚めると実はビートルズのオリジナルと思い込んでいたRock And Roll MUsicがチャック・ベリーという人のカバーだと知りました。どこかで聞いた名前だなあ。そこで気がつく、そうかあのJohnny B Goodeと同じ人だ。さらにビートルズを知るに従って、実は「ロックン・ロールの創始者」のような大変な人であることを知ったし、ジョン・レノンが尊敬してやまない人であることを知りました。ビートルズからメンバーのソロ、ストーンズ、多くの洋楽ロックとロック、洋楽を聴き進めていけばいくほど、彼の存在の大きさを知りました。多くのアーティストがカバーしている、多くの大物アーティストが彼を尊敬している、多くのアーティストと共演している・・・。ビートルズやストーンズのようなブリティッシュ・ビート・バンドだけじゃなく、ハードロック、パンク、ブルース、ポップ系のアーティストも、さらに欧米だけじゃなく日本のアーティストも・・・。しかもまだ現役で、未だにライブをやっている。実際2000年代まで何度か来日公演もやってた記憶があります。 

 とはいえ私自身は実は彼のCDなどは持っていません。いや別に「興味がなかった」「好きじゃなかった」わけじゃないんだけど、「いつでも買える」ということで後回しにしてしまったというのが正直なところ。あと、彼の曲はどれも有名すぎるし、あちこちで多くのアーティストがカバーしているのを嫌というほど聴かされてきたので、「今更まとめて聴くこともなかろう」というのもあったかも。それと(これは誉め言葉)全部イントロは同じようなフレーズ、リズムもほぼ同じなので、「敢えてまとめて聴こう」と思う機会がなかったのも事実です。だから今回の訃報、ジョージやジョー・ストラマー、ジョン・エントウィッスル、デヴィッド・ボウイの時のような「思い入れの強い人の訃報」という感じではなく、陳腐な表現だけど「ひとつの時代の終焉」のような寂しい気持ちになりました。 

 なんといっても彼がいなければロックン・ロールは誕生しなかったはず。ビル・ヘイリーやエルヴィスもいるだろうという人もいるかもしれないけど、作詞作曲を手がけて自ら歌う、ギターを弾きながら歌う、間奏はギター・ソロ、恋愛ばかりじゃなく「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」とか「モダンジャズには恨みはないが・・・」云々といった皮肉の利いた内容の歌詞とか、これらはまさに彼が生み出したもの。そして何と言っても、あのワンパターンだけど一度聴いたら忘れられないイントロとリフ、あれを「発明」した功績は大きいと思います。あれこそロックン・ロールの象徴、あのイントロとリフは私の「ツボ」で、彼の楽曲に限らずあのリフを聴くと思わず体が反応してしまうくらいです。ディランにノーベル賞をあげるのなら、あのリフを発明した偉大な発明家の彼にもノーベル賞を与えるべきではないでしょうか。 

 まあでも彼のことだから、もし存命でもそんなものは受け取らないだろうし、「そんなものより金をくれ」と言うでしょう。しかしもう高齢なので「いつかこんな日が来る」とは思っていたけど、まさか本当に逝ってしまうとは。でもあのイントロやリフは永遠に残るだろうし、今後もあのイントロ、リフを使用した楽曲は無数に生まれ続けることでしょう。
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# by stakec68 | 2017-03-20 00:15 | 音楽ネタ