忙しすぎるせいでなかなか書くことが出来ず、少し前のネタになってしまいますが…。

 何度かここに書いてきた通り(こちらとか)、私がマラソン中継を見るようになったきっかけは、1978,9年頃に父がつけていた「福岡国際マラソン」の中継を何気なく隣で見たこと。まだオリンピックの次に大きなマラソンの国際大会といえば、ボストンと福岡でした。単なる「国内で行われる国際大会」ではなく、毎年のように世界の強豪がそろって参加、そんな中で海外の選手を振り切って表彰台を独占していた瀬古や宗兄弟に熱狂させられたものでした。以降、私にとって「12月のスポーツで一番楽しみなイベント」でした。その後もこの大会がオリンピックの選考会になっていたし。1980年代後半から国内でも海外でもマラソンのレース数が多くなっていったこともあって、次第に「世界の強豪の大半が揃う」ほどの大会ではなくなっていったけど、それでも特別な重みのある大会でした。それが1990年代末頃からだと思うけど、日本の実業団が前以上にマラソンより駅伝に力を入れ始めるようになると、実業団駅伝が元旦開催になったこともあって、海外どころか、国内の有力選手すら集まらなくなってしまって…。気がつけば2月の東京、3月のびわ湖よりも地味な大会になり下がってしまいました。同時に2000年代半ば以降、日本のマラソン全体がどん底状態。瀬古や宗兄弟、中山、谷口らが当たり前のように出していた2時間8分台すら出ず、優勝から3分以上も離されたレベルの低い「日本人トップ争い」ばかり見せられて・・・。そんなこんなでもう10年以上も男子マラソンには何の期待も持てず、同時に福岡国際もそれほど「楽しみな大会」でもなくなっていました。

 ところが今年はちょっと様子が違う。相変わらず実業団の選手は駅伝の方が大事だからか、ほとんど出場しないけど、実業団を辞めて海外でプロランナーになった大迫傑が出場するという。箱根駅伝に全く興味がなくって結果すら見ない私なので、「箱根で活躍した」「大学時代に有名だった」云々といわれても「どの程度強いのか?」疑問ではあったけど、マラソンに専念するために実業団を辞めて海外に渡った選手というのははじめて。1980年代までは、駅伝なんて若い選手にとっては「マラソンを始めるためのステップアップの場」だったし、既にマラソンで実績のある選手にとっては「単なる調整の場、顔見せの場」に過ぎなかったはず。なのに今ではニューイヤー駅伝で「今日のために1年間頑張ってきた」などと平気で言う志の低い実業団選手ばかりでうんざり。敢えてそんな実業団を飛び出してたった一人でマラソンに専念する道を選んだ選手、果たしてどこまで出来るのか? 興味があったので(出勤だったので)録画予約して帰宅後、結果をシャットアウトした状態でテレビ観戦しました。

 いつものようにペースメイカーが離れる30キロまでに大半の日本人選手は離脱。案の定「山の神」云々持ち上げられていた選手も予想通りあっという間に脱落。それでも先頭集団に残る大迫。その後離されたものの、2時間7分台で3位でゴール。一時期は6分台が出そうなペースだっただけに残念だけど、低レベルな「日本人トップ争い」ばかり見せられてゴールする頃には気持ちが萎えてしまうことが多かった男子マラソンを思えば、最後まで引き込まれ、興奮させられたのは久しぶりでした。いや、もちろん「1回だけ好記録、後はフェイドアウト、または故障で短命に終わる」人も多く見てきたし、今回も優勝者のタイムからは1分以上離されているので手放しで「日本のマラソン界に希望の光が」とまでは言えないのは事実。だけどゴール後「日本人トップ」「久々の日本人の7分台」「自己のベストタイム更新」なのに全く嬉しそうにせず、むしろ憮然とした表情だったのが印象的でした。「優勝から2,3分離された日本人トップでまるで優勝したかのようにはしゃぐ」間抜けな日本人選手ばかり見せられた近年、だけど彼は全く満足しておらず、むしろ出てくる言葉は反省の弁ばかり。むしろそのことが頼もしく思えたし、きっともっと強くなりそう、そんな期待を持たずにはいられません。

 また「駅伝偏重の実業団を辞めて、マラソンに専念するために単身で海外に出た」パイオニアなわけだけど、それでいきなり結果を出したことも大きな意味があると思います。彼の姿を見て「駅伝は大学まで→卒業後はマラソンに専念したいから実業団に行かず海外へ」という選手が今後も増えれば、「駅伝偏重でマラソンに専念できず強くならない」この20年ほどの男子マラソンの弊害も解消されるかもしれません。また彼の姿を見て「よし、俺も」と実業団を飛び出す選手も出て来るかも。これはよい傾向かも、新しい時代が来るかも、歴史が大きく変わるかも、そんな期待を持たずにはいられません。

 もうひとつ、2時間5分台の好タイムで優勝したのは、アフリカ人ではなくノルウェー人のモーエン。ここ10年位、マラソンといえばアフリカ勢ばかりが好タイムを連発して「もうアフリカ人以外は勝てない種目になった」と言われていたもの。だけど昨年のリオ五輪でアメリカ人が銅メダル、イギリス人やスイス人も優勝争いに絡んだし、今年の世界陸上でもイギリス人、イタリア人が優勝争いに絡み、入賞。どこも「アフリカ勢独占状態」になる前はマラソン強国だった国ばかり。まだまだアフリカ勢以外でも上位に入る可能性はゼロではないのでは? という気がしてきました。実際、アフリカ勢を突き放して優勝したモーエンの走りは「新時代」を感じさせるほど衝撃的なものだったし。だとすれば日本人だってまだまだ諦めるのは早いのでは? ただ実業団にいたのではダメ。大迫が今拠点にしているのは、昨年の五輪で「復活」を遂げて銅メダルと入賞者を出したアメリカなわけで、そこで揉まれている大迫にはやはり期待せずにはいられません。

[PR]
# by stakec68 | 2017-12-09 00:12 | スポーツ・ネタ

 何度も何度も書いてきた通り、大相撲なんて見なくなって20年以上になるけど、今月初めからのゴタゴタと、それを取り巻く人たちの態度、発言、そしてそれを伝えるメディアの報じ方など、「おかしい」ことばかり。まあ、もともと「ちょっとおかしい世界」だったし、マスコミがおかしいのも今始まったことではないんだけど…。

 まずことの発端は「現役の横綱が別の部屋の平幕力士に暴力をふるってけがをさせて警察沙汰になった」こと。にもかかわらず「本当のところ何を使って殴ったのか?」とか、「殴られた側も態度や発言に問題があった」とか、「殴られた力士の師匠=貴乃花親方の態度が不可解」とかいらない情報ばかり。しかも引退したモンゴル出身の元横綱とか、自称・大相撲に詳しいジャーナリストとか、被害者の兄とか、いろんなその場にいなかった人=部外者が勝手な発言するから余計に面倒なことに。いや「殴られた理由」とか、「何を使って殴ったのか」とか別に大して重要な話じゃない。師匠の態度もどこが「不可解」なのか全く分かりません。もしもこれが相撲界じゃなく、普通の社会で「ある会社の先輩が系列の別会社の後輩を酒の席で殴った」事件だったとしたら、「何を使って殴ったのか」とか「被害者の態度や発言がどうだったのか」とか関係なく「理由はどうであれ、手を出した側が悪い」という単純な結論に至るはず。「いじめはいじめられる側に問題がある」とかいう狂った主張をする人もいるけど、それに似たような理屈。また「被害者の会社の社長が『うやむやにされる』ことを恐れて、相手の会社の社長のところではなく直接警察に行った」としてもそれほど「不可解行動」には思えない。会社の関係者が「不可解」というのは分かるけど、部外者が「不可解」と感じる理由がよく分かりません。なんか「うやむやにしよう」「問題を師匠の行動が悪いように報じて問題をすり替えよう」としている一部の輩の思惑が見え見えで気持ち悪いです。

 それと肝心の九州場所でも白鵬が「物言い」を主張して審判や行事に「抗議」するような態度をとったという前代未聞の報道も。いや、この20年位は相撲は一度も見てないけど、少なくとも私が相撲を見ていた頃は絶対にお目にかかれなかった光景。相撲って「神事」のはず。そこに「抗議」という行動が入り込む余地なんてない。多くの観客の前で実に見苦しい。追い打ちは千秋楽の優勝インタビューで、その白鵬が今回の事件の被害者と加害者になった2人を「もう一度土俵に戻す」と発言したとか。いや、いくら横綱といえど、いち力士にそんな権限や権力があるんでしょうか? 処分するも、復帰させるも、決めるのは協会では?まして警察に被害届が出ているので最早刑事事件。捜査の結果次第では協会が望んでも復帰させることが出来ないかもしれないのに。そして土俵上で万歳三唱? 一緒に万歳した観客といい、この人の態度といい、最早正気の沙汰とは思えません。まるで「新手の宗教」みたいじゃないか。

 いや、もともと相撲界ってちょっと普通じゃない世界だったけど、もはや普通の社会常識すら通じない不可解で狂った世界になったようです。貴乃花親方のことを「不可解」「不可解」と報じてるけど、それ以前に今の相撲界自体が「不可解」。そしてそれを捻じ曲げたり、問題をすり替えたり、憶測だけで部外者に勝手に発言させる、そんなマスコミも「不可解」です。「傷害事件」なのに「被害者の師匠」の行動のことばかり報じるマスコミ、大問題を起こしているのに謙虚さが全くない協会と横綱。いや、本当に私にはさっぱり分かりません。改めて思いました「20年以上前に見限っておいてよかった」。


[PR]
# by stakec68 | 2017-11-28 00:23 | スポーツ・ネタ

並木よ・・・

ケーブルテレビで視聴できるチャンネルNECOというチャンネルで「ある日私は」(こちら)というドラマを見て全盛期=昭和40年代初頭の松原智恵子の美しさに心を奪われたこと、そしてやはり同時期の「若い川の流れ」(こちら)でも再び松原智恵子の可憐さに惹きつけられたこと、過去に述べてきました。そしてこのたび、そのチャンネルNECOでまたしても全盛期の松原智恵子主演のドラマ「颱風とざくろ」が放映されていたので、ずっと視聴していました。

 「ある日私は」は私の生まれる(1968年7月生まれ)前の1967年~1968年4月、「若い川の流れ」はその後の1968年10月から放映されていたそうだけど、「颱風とざくろ」は翌1969年7月~9月放映らしいので私が1歳の時のドラマということになります。智恵子様の美しさは相変わらずなんだけどストーリーといい、キャラクターといい、細かい描写といい「脱アイドル」を狙ったのかな? 現代の目で見るとそんなに大胆でもないけど下着姿、水着姿、男を挑発するような台詞、エロティックなシーンなどもあって、それまでの「清楚で可憐」一辺倒ではないあたりに少し驚きました。日活の会社の方針なのかもしれないけど、30過ぎても清純派一辺倒な売り方をされていた吉永小百合と比較すると「扱いが悪い?」という気も。いや、ひょっとすると実力を認められて敢えて「今までと違う役に挑戦させられた」のかもしれないけど、明らかに「脱・清純派」という印象を受けました。でもこの翌年から「絶頂期」が終わって、「脇役専門」にシフトしたという話もあるので、この路線は失敗だったのでは?という気がしないでもありません。なので純粋に「可憐で美しい松原智恵子様を堪能できる」のは、むしろ「ある日私は」や「若い川の流れ」の方だったような気がします。

 だけどドラマのストーリー自体は前の2作よりも面白く、引き込まれました。「ヒロイン=佐久間英子(松原智恵子)の彼氏である一雄(緒形拳)が山で遭難して亡くなる→数年後その弟・二郎(石坂浩二)と出会い、次第に惹かれていく」という展開はなかなかユニーク。私の中では「二枚目というより灰汁が強い個性派」というイメージの緒形拳がヒロインの彼氏役、「インテリやエリート」のイメージの石坂浩二が「ヒッピー崩れ」みたいな若者役をやっているあたりも新鮮。そして単なる恋愛ドラマかと思いきや、実はヒロインが「赤ん坊取り違え」の被害者で両親が実の親じゃないというシビアな展開があったり、その事実が判明する前からなぜか姉であるヒロインに恋愛感情を抱いて苦悩する弟とか、緒形拳演じる一雄が学生運動に巻き込まれて苦悩したり、石坂浩二演じる二郎が親に政治家の娘と政略結婚させられそうになって親と対立したり・・・、様々な方向に展開するので飽きない。「ある日私は」や「若い川の流れ」がどことなく「松原智恵子を見せるためのドラマ」「アイドル・ドラマ」風だったのと比較すると、純粋に見どころの多いドラマという感じでした。

 また相変わらず「昭和40年代の風景」に魅了させる瞬間も多かったです。ヒロインの英子の職業がアナウンサーなんだけど、渋谷や池袋などの街中でインタビューするシーンなんてほとんど「ゲリラ撮影」なんじゃないでしょうか。まるで「当時の街の中にいるかのよう」な臨場感があったし、高度成長期で「みんなが元気」「日本全体が活気があってエネルギッシュ」に見えました。また後半、英子が「実の母親」の住む大分県の湯布院に行くんだけど、今ではすっかり観光開発できれいになった湯布院も当時は「鄙びた温泉街」という感じ。大分県の山下湖もロケ地として使用されていたけど、ここって今では温泉もホテルもなくなってしまった「かつての観光地」。まさに「在りし日の姿」が拝めました。

 倉本聰脚本らしいけど、後のこの人の脚本にありがちな「ト書きの代わりのような長い説明台詞」もなくって、逆に普通のドラマよりも台詞が少なく映像と音楽だけで登場人物の心理描写する手法も斬新でした。ただし結局解決したのは「取り違えの真相と、それを知ったヒロインがショックを乗り越えた」ことだけで、「英子と次郎の恋の行方」とか、「なぜか姉に片思いする弟の苦悩」などは解決しないまま最終回を迎えたのは少し残念。まあ、事件が起こっても常にアンニュイというか、「ボヤけたような空気」というか、「うたた寝したくなるような淡い日差し」というか、そんな「緩い」空気感が常に漂っているので、「何となく終了」という終わり方も、このドラマらしいといえるかもしれません。

 そんな「緩い」空気感にこれ以上ないほどピッタリなのが、森山良子の弾き語り調でしっとりした主題歌「あこがれ」と、ちょっとジャージーで軽快な「並木よ」。このドラマ全体に漂う空気感や、ちょっと大人になって色気も出てきた当時の松原智恵子様にこれ以上ないほど合っています。まさにこの時代=昭和44年でないと出せない空気感。毎日忙しくて疲れ切っている私をちょっとだけ「緩い」気分にしてくれる、そんなドラマでした。もちろん見始めたきっかけは「松原智恵子様のドラマだから」だったけど、むしろこの緩い空気感が心地よくってこの世界観にはまってしまいました。この時代のドラマには珍しく13話しかなくって短いのが残念でした。

[PR]
# by stakec68 | 2017-11-14 00:32 | テレビ、芸能

 父の命日が近いこともあって久々にひとりで墓参りに行ってきました。うちの「先祖代々の墓」があるのは、北九州市の一番端の駅である折尾駅からバスで20分ほどの墓地。約1年ぶりに折尾駅で下車してビックリ、真新しいまるで新幹線駅を思わせるような「近未来」風の駅に生まれ変わっていました。実は折尾駅って、地元民以外の鉄道マニアにも比較的知られていたらしいけど、大正時代に建てられた西洋風(ルネッサンス様式とかいうらしい)の木造駅舎、しかも1階に筑豊本線、2階に鹿児島本線の乗り場のある立体交差駅でした。1階から2階に上がる階段やコンコースもまるで迷路のようだったり、赤レンガ造りでそのレンガがむき出しになっていたり・・・。つまり建物や内装はレトロで「大正ロマン」を思わせる、その上2本の路線が交差する珍しい構造。同時に、今時珍しい駅弁を売り子が「立ち売り」している光景とか、駅のホームにあった立ち食いうどん屋の「かしわうどん」が大好きだったし。まさに唯一無二の貴重な駅だったわけです。

 正直、私は折尾には墓参り以外ほとんど用事がないので1年に1回程度しか下車しないけど、鉄道マニアだった小4~中1くらいの頃は「好きな駅」だったのでよく行ったものです。なんといっても当時お気に入りだった筑豊本線(こちらの「番外編」参照)への乗換駅だったのでたびたび利用したし、先に述べた「かしわうどん」食べたさに途中下車していたし、駅弁の売り子を見たくってわざとこの駅で途中下車したこともあったっけ。そんなこんなで、私が鉄道マニアだった頃=昭和53~56年頃は頻繁に下車していた記憶があります。

 それなだけに21世紀に入って折尾駅周辺の再開発計画や、駅舎を取り壊して大改築するかもしれない等の計画を耳にした時は、さすがに寂しく感じられたし、「いや、ちょっと待てよ」と思ったものでした。いや、2001年に地元に帰ってきて以降、この駅を利用するのは墓参りの日の1年に1,2回くらいしかない。でもあんなに貴重で珍しくって風情のある歴史的な建築物をぶっ壊すって「狂ってる」だろう。ずっとそう思っていたし、2010年頃から少しずつ工事が始まってはいたけど「そのうちなくなってしまうんだ」「これで見納めかも」と墓参りで下車するたびに思っていました。

 そして今回、約1年ぶりに下車するとホームも駅舎(まだ仮だけど)もコンコースも見事に「近未来の建造物」に様変わりしていました。ああ、とうとう変わってしまったんだ、降りた瞬間は寂しく、悲しい気持ちになりました。だけど階段を下りて改札に向かう途中でふと思ったこと…。

 旧折尾駅の2階のホームから1階に降りる階段、傾斜が急で滑り止めも何もないようなツルツルの石で出来ていたし、手すりもなかった。だからしょっちゅう滑りそうになっている人を見かけたし、私自身も小学生の頃、一度滑ってこけたことがあった。足腰が弱くなりはじめた頃の母が2005年頃「怖くて降りられない」と言ったので手を引いて降りたことがあった。実は手を引いていた私自身もこの階段、ゆっくり降りないと転げ落ちそうで怖かったもの。また赤レンガむき出しのコンコースも一見「レトロでオシャレ」に見えなくもないけど、見方を変えれば「薄暗くて不気味」に思えなくもなかった。「迷路のような通路」も、地元以外から来た人にとっては「分かりにくい」はず。実際「ああ、間違えた」と言って引き返す人、迷ってオロオロしている人などを何度も見かけた。それにコンコースがクネクネと変な曲がり方をしているので筑豊線から鹿児島本線への乗り換えの際「3分の待ち合わせ」と言われたら走らないと間に合わなかったもの。トイレも汚い、乗降客の多さの割にホームが狭苦しい、2階から1階に降りる階段が1か所しかない=しかもホームの一番隅=下車してかなり歩かないと改札から抜けられない、ホームが微妙に傾斜してる=歩きにくい、手すりが古い=一見すると「歴史が感じられる」けど見方によっては「今にも壊れそう」・・・。

 そこで思い出したことが。以前道北放浪した際にこんなもの(こちらの「キタカラ?」)を書きました。よそから来た人、普段は利用しない人から見れば「風情がある」「物珍しい」「貴重」「旅愁を誘う」光景であっても、普段利用している人から見れば実は「不便」「汚い」「古臭い」だけのものって実はあるんじゃないか。私はあの時、リニューアルされた稚内駅を見てそう思ったものでした。よそから来た私は「最果ての駅」らしい物悲しさや旅愁、風情を期待して稚内を訪れたので「近未来」的な建造物にガッカリしたけど、地元の人たちは間違いなく喜んでいた。それと同じで、確かにあの懐かしい、貴重で唯一無二の景色、慣れ親しんだ駅舎や赤レンガのコンコース、ホームが消失したのは寂しいけど、2階から1階に降りて改札を抜けるまでに要した時間ははるかに短くなったし、より歩きやすくなった、危なくもなくなったのは間違いない。それを思うと「やむを得ないのかな」との想いもあります。もちろん「何らかの方法で保存できなかったのか?」とは思うけど、そうなると街の真ん中に、しかも斜めに横たわるように建っていた建物なので「残す」のも難しいでしょう。まあ、寂しいけど致し方ないのかとも思います。

[PR]
# by stakec68 | 2017-10-31 00:13 | 地元

 先週頭から「今週末は大きな台風が来る」と大騒ぎ。最早「土日出勤」が当たり前になっている私。参ったなあ、困ったなあ、と思いつつ、ずっと予報で予想進路をチェックしていたら、木曜日頃は九州をほんの少しかすめるような予想進路だったのに、土曜日には九州に全く影響のない、紀伊半島や四国に上陸する予想進路に。つまり段々九州に直撃しない予想進路に変化「ああ、今回はほとんど関係なかろう」と。もちろんずっと雨は降っていたけど「今後もずっとこの程度で終わり」「毎度毎度の来る来る詐欺か」と思っていました。

 日曜日出勤時の交通機関も、家族連れや中高生の友達同士のグループが「お出かけ」してたし、大きな傘を持っている人も皆無。天気予報も「曇り」とか「弱雨」、もはや「今回の台風は関係ない」と思ってたし、退社後に寄り道して買い物でもしようかなどと呑気に考えていました。夕方4時過ぎから少しずつ風が強くなる。まあ、いくら「進路から遠く離れている」といっても、近くを台風が通るんだから、これくらいの風は当然だし仕方ないか。ところが段々その風は強くなり、窓に雨が吹き付ける音、外では缶や看板のような物が吹っ飛ぶような音が聞こえる。慌ててネットの天気予報を見たけど、進路が変更になって直撃してるわけでもなく、北九州からは遠く離れたところを通ってる。いや、こんなに遠く離れているのに、何でここまでひどいんだ? 少しずつ不安になってきました。

 そして退社時間になる。ネットを見るとJRは止まったとのニュースが。まあ、バスとか他の交通機関を使えば普通に帰れるので不安はない。外に出るとたまたま風は強いけど雨は止んでいるのでバス停までは歩けそう。吹き飛ばされそうになりながらもなんとかバス停に着く。だけど途中で乗り換えなきゃいけない。日曜日は夜になると本数が少なくなるので、乗り換えのバス停で30分近く立って待っていなきゃいけないのは苦痛。でも待つしかない。屋根や囲いのあるバス停だったのは幸いだったけど、やはりそこでも立っていられないほどの強風。30分待ちのはずが遅れていて40分も待たされたのは苦痛だったけど、とりあえず乗れたので一安心。だけど異常に混んでる。まあ、JRが止まったせいだろうけど。バスに乗っている間は風だけではなく雨も異常に降ってきて、ほとんど「直撃した」くらいの大荒れ。果たしてバスを降りたとしても、そこから降りて歩いて家まで徒歩15分、無事に帰り着けるのか?

 そして普段よりも大幅に遅れて最寄バス停に到着。ところが降りてみると相変わらず強風は吹いてるけど、雨は小降りに。よし、これなら歩ける。実は「直撃しない」「今日の天気は曇り」ということで、大きい傘なんて持っていなかった。折り畳みはいつも持ち歩いているけど、さっきバスの中で見たような暴風雨だったら役に立たなかったでしょう。それを思うと「バスを降りたらたまたま小雨になっていた」のはラッキーでした。そして無事に家に到着。家について外を見ると、再び暴風雨に。ああ、本当に今日はついていた。

 しかし天気図の予想進路を見ると、大きくそれていてまるで何の影響もないような様子だったし、予報も「曇り、弱雨」なので全く何の警戒もしておらず、まさに不意を突かれたようでした。実際、閉店後の店がシャッターをちゃんとしめていなかったので雨が吹き込んでいたり、植木鉢を外に置きっぱなしにしていたので吹き飛ばされて粉々になっていたり、バスに乗って帰る人も普通に休みの日に外出した帰りのようなばかりだったし、おそらく「不意を突かれた」のは私だけではなかったはず。いや、今回は見事に「来ない来ない詐欺」に騙されました。

[PR]
# by stakec68 | 2017-10-23 18:26 | 地元

 地上波テレビを見なくなって久しい私だけど、テレビ欄で「世にも奇妙な物語」の番組名を見かけると思わず見てしまうと書きました。実はもうひとつ、テレビ欄に番組名をみつけると思わず見てしまう番組があります。それは西村京太郎の2時間サスペンス「トラベルミステリー」(テレ朝版)と「十津川警部シリーズ」(TBS版)。一度こんなもの(こちら)を書いたこともありました。前者は亀井刑事が高田純次に変わって深みや人情味が薄れてしまったし、十津川警部が高橋英樹になったあたりから往年の時刻表トリックもほとんどなくなったけど、それでもなぜか見てしまいます。後者はもともとテレ朝版と違って、時刻表トリックや旅情を前面に出すのではなく、十津川警部という魅力的なキャラクターの刑事が活躍するドラマというイメージ。つまり同じ原作をモチーフにしながら、描き方が全く違っていたので、テレ朝版とはまた違った面白さがありました。

 とはいえ、十津川警部を演じていた渡瀬恒彦が今年逝去。その前から渡瀬&伊東四朗(亀井刑事)が降板して、内藤剛志&石丸謙二郎のコンビに交代。渡瀬恒彦の十津川警部、他の局の十津川警部と比較すると正義感が強い熱血漢に描かれていました。犯罪を、犯罪者を憎み、執念深く冷酷に犯人を追い詰める。一方で犯罪に巻き込まれた被害者や悲しい運命を背負った人には優しさも垣間見せる。私は先ほどリンクを貼った過去ログに書いた通り、たった3回で終わった若林豪の十津川警部が一番好きだったし、ドラマとしては三橋達也&愛川欽也時代のテレ朝版が一番好きだったけど、最も人間臭くて魅力的に映っていたのは実は渡瀬恒彦の十津川警部でした。伊東四朗演じる亀井刑事との深い絆も描かれていて、最も「名コンビ」だったのもこの2人だと思っています。

 なので今年1月、まだ渡瀬恒彦が亡くなる前に放映された内藤&石丸版を見た時、心底ガッカリしました。もちろんテレ朝版のように「刑事のキャラクターよりも旅情や人情を前面に出す」ドラマなら、主役が交代しても大きなダメージはない。だけどやっぱりTBS版は「渡瀬恒彦の魅力」ありきな作品だったので「ああ、これはちょっと」と。でもまあ、その時はまだ1作目だったので「そのうち内藤なりの十津川像が出来上がれば多少はよくなるだろう」と思っていました。だから1作目にガッカリさせられて以降もテレビ欄に「十津川警部シリーズ」の文字をみつけるたびに、「きっと今回もガッカリさせられる」「いや、でも今回こそは」、そんな淡い期待を抱きつつ、家にいる日はチャンネルを合わせて、家にない日は録画予約してきました。そして先日の月曜日=休みの日、またしても淡い期待を抱きつつシリーズ4作目が放映されるのを知って思わずチャンネルを合わせました。

 しかし放送時間が3時間。CM多過ぎ、途中にニュースが入る、「ここまでのあらすじ」のナレーションがしつこく入る、無駄に景色をとるだけのシーンが長く入る・・・、こういうのカットすれば十分2時間ちょっとに収まらないか? 無駄に長過ぎて疲れる。あと相変わらず内藤剛志の十津川のキャラが薄すぎる。いや、俳優が違うんだから別に渡瀬恒彦の真似する必要はないけど、灰汁もないし、喜怒哀楽も出さないし、だからといってクール・キャラでもない。なんか常に淡々としてて魅力がない。石丸の亀井刑事も泥臭さも人情味も灰汁もない。だからただ淡々と事件を追ったドキュメンタリーみたい。さらに最悪なのが「元部下が殺される」という衝撃の展開なのに、十津川は怒りを爆発させるでもなく、その怒りを胸に冷酷に執念深く犯人を追い詰めていくでもない。しかも逆に元部下を殺した犯人とその一家に同情してしまう始末。いや、私には「とんでもないゲス一家」だと思うし、殺した動機も身勝手にしか思えないし、全く同情したい気分になれない。まあ、この辺りは俳優の問題じゃなく、脚本の問題なんだろうけど・・・。「愛した女の家族に殺される」なんてあまりにも哀れで可哀想、それもケガをさせられたんじゃなく、命を奪われてる。なのに「殺された元部下のことを思う」のではなく「加害者一家に同情する」十津川と亀井には何の共感も抱けませんでした。渡瀬十津川なら犯人一家に激しい怒りをぶつけていたことでしょう。「だからといって前途ある若者の大事な命を奪ってよいということにはならないでしょう!」「奴はあなたを愛していた、その命をあなた方一家が奪ったんだ!」とか言う姿が目に浮かぶよう。3時間もつき合わされて残ったのは後味の悪さだけでした。

 ということで、今回もまた見事に期待を裏切られてしまいました。同時に渡瀬恒彦ををなくした「喪失感」を感じました。実は彼の訃報の際、私はここに何も書きませんでした。彼に対しては映画「戦国自衛隊」で隊長に逆らうガラの悪い隊員とか、どちらかというと「憎まれ役」ばかりやっている俳優というイメージを持っていました。もちろん50過ぎたあたりから渋い大人な役が増えてきたけど、あまり彼の出ていたドラマや映画に親しんだ記憶がありませんでした。「タクシードライバー」シリーズは元刑事とはいえ素人が事件に首を突っ込むのが何となく好きじゃなかったし、「おみやさん」は80年代の緒形拳版の方が好きだったし、「警視庁なんちゃら」いう刑事ドラマも、脇を固める刑事役の大袈裟な演技が鼻に突いて好きじゃなったし。だから特に彼が亡くなった時「喪失感」はあまりなかったんだけど、こうして2017年になって4度も「はずれ」の十津川警部シリーズを見せられると、今更ながらあの、正義感と渋みのあった、魅力的な渡瀬版十津川警部が恋しくなってしまいました。今後も裏切られる可能性が高いのを知りつつ、テレビ欄に「十津川警部シリーズ」の文字を見つけたら、思わず見てしまうことでしょう。

[PR]
# by stakec68 | 2017-10-19 23:59 | テレビ、芸能

 地上波テレビをまともに見なくなったのは21世紀に入る直前、1990年代の末だったけど、「見たい番組」「毎週必ず見る番組」がゼロになったのはおそらく2004,5年頃だったと思います。2000年代半ば頃までは報道番組くらいは見ていたけど、今ではニュース番組でもワイドショー並みに下世話なゴシップ・ネタばっかりだったり、偏向が酷すぎたりで、それすら見なくなりました。今ではスポーツ中継以外で地上波の番組を見ることはまずありません。いや、別になくなっても困らないだろうと。

 そんな中、なぜかテレビ欄にその番組名があると思わず見てしまうものがいくつかあります。春と秋、年に2回だけ未だに続いている「世にも奇妙な物語」、それがその「思わず見てしまう番組」のひとつ。バブルの頃、深夜番組として人気があったらしけど、福岡では当時放送されていなかったので、初見は木曜夜8時からの定期番組としてはじまった1990年になります。バブル期のドラマ=トレンディ・ドラマに馴染めずに「ドラマ離れ」をしていた頃ではあったけど、3話の短編のオムニバスで、「奇妙な話」といっても単純なホラーばかりじゃなく、「日常の何気ない生活の中に生まれる奇妙な出来事」を描いた話が多くて、なかなか斬新で面白いなと思い、以降はずっと視聴してきたものでした。「感動系」「コメディ系」「考えさせられる話」等もあってバラエティに富んでいたし。「当たり=面白い話」「はずれ=面白くない、つまらない話」の落差も激しいので、3話中全話が面白いというケースは稀だったけど、当時は最低で3話中1話「当たり」があればそれで満足でした。

 その後、社会人になった1993年頃からは定期番組ではなくって春、秋、年末年始の年3回の特番になったけど、その頃からさらにグレードアップしてきたと感じていました。どんでん返し、さらにどんでん返しとか、洗脳とかサブリミナルとか終末=この世の終わりとか核戦争後の世界のような心霊話などよりもはるかに「怖い」テーマを扱った話とか・・・。おそらく特番になった1993~1990年代末くらいが全盛期だったと思います。既に社会人になっていたので家にいない日、時間に放映されることが多かったけど、毎回録画予約して楽しみにして見ていたものでした。

 だけど2000年代に入って、段々グレードが落ちてきたと感じました。春と秋の2回だけになったのもそうだけど「どんでん返し、さらにどんでん返し」くらいならいいけど、4回くらいも「どんでん返し」があって訳が分からなくなる話とか、主役の売り出し中のタレントを売り込みたいだけで中身のない話とか・・・。なのであまり過剰に期待しないようにはしてきました。テレビ欄に番組名を見つけても「まだやるのかよ」と思ってしまう、だけど「いや、きっと今回は1話くらいは当たりがあるはず」とかすかな期待を持って録画予約してしまう・・・。2000年代に入ってからはずっとそんな感じでこの番組を見てきました。2000年代前半くらいは「5話のうち1話」くらいの確率で当たりがあったけど、2000年代後半には当たりは1年(春と秋)のうちで1話程度に減り、2010年代に入ってからは「2年に1話」程度に減ってしまいました。それでも思わずテレビ欄に番組名をみつけると思わず録画予約してしまう私。一昨日の土曜日に秋の特別編をやっていたので予約して、休みの今日、全話視聴してみましたが…。いや、今回は全部外れでした。

 1話目の「寺島」という話は、昔からありがちなオーソドックスなホラー。いや、悪くはないし近年放映されていた中ではよい部類だけど、「以前見たような話」なので新鮮味がない。2話目の「フリースタイル母ちゃん」、なんじゃこりゃ。これってドラマですか? おそらく1990年以降放映された全話の中で最低最悪の駄作。いや、ひょっとすると今時の地上波のドラマを見てる連中から見ると「面白い」のかもしれないけど、私には何がいいのか、どこが面白いのか、笑わせたいのか感動させたいのか、何がしたいのか全く分からない世界でした。むしろ中山美穂が「母ちゃん役」というあたりに時代の流れを感じて・・・。3話目の「運命探知機」、「感動もの」と見せかけてどんでん返し、これも昔から「奇妙」によくある話だけど、「落ち」の後、長々と「落ち」についての説明が続くのに違和感。「お疲れ様でした」とか言いながらスタッフが撤収していく、そこで終了で十分。「奇妙」って、昔から「投げっぱなし」「視聴者を突き放す」=「落ちの後、突然終わる=えっ? となって終わる」「あとは見てる人で感じろ、考えろ」なのがパターンだったはずなのに。説明がないと「感じ」て「考える」こともできない人達が多いんだろうか? 4話目「夜の声」はストーリー自体はなかなか練られてていいなと思ったら、原作:手塚治虫とある。まあ、だったら「よくできている」のは当たり前。だけど「社長とホームレスの二重生活」を送る主人公の心理描写がない。「社長業に疲れて嫌気がさしている」描写とか、「ホームレス生活を満喫している」描写とかがない。だから「なぜこの男が二重生活を送っているのか?=何を考えているのか?」が伝わりにくいから感情移入できない。感動させたいのか、切ない気持ちにさせたいのかのどちらかなんだろうけど、どちらでもないから何の余韻も残らない。せっかくいい原作をモチーフにしているのに、描き方を誤ってしまった残念な作品という感じ。主役の2人はよい感じなので別の脚本家、監督でやり直して欲しいと思ってしまいました。

 そんなこんなで今回も見事に「肩透かし」を食ってしまいました。そういえば半年前の春の特別編も確か見たはずなのに全く覚えてない。ということは2017年に見た8本すべてが私には「外れ」だったということ。それでもまた来年の春、テレビ欄に番組名を見つけたら、同じように録画予約して見てしまうことでしょう。きっとまた全部「外れ」なんだろうけど、きっと「当たり」が1話くらいあるんじゃないか、そんな淡い期待を抱きつつ…。


[PR]
# by stakec68 | 2017-10-16 17:35 | テレビ、芸能

 2014年のサッカー・ワールドカップ終了時にこんなもの(こちら)を書き、その後、惨敗したにもかかわらず全く反省も総括もないまま変わろうとしない協会、選手、ファン、マスコミに絶望してこんなもの(こちら)やこんなもの(こちら)を書いてきた私。日本サッカー自体がすっかり嫌になり、「変わろうとしない」ことに苛立ち、気がつけば興味が薄れ、試合もテレビで見ることがほとんどなくなりました。いや、何度か代表の試合にチャンネルを合わせたことはあったけど、気がつけば退屈したり、居眠りしたり、「時間の無駄」とばかりにチャンネルを懐かしい番組などをやっているケーブル局に変えてしまったり・・・。とにかく緩くて精度の低いパスを回すばかりでスピード感も迫力もない、しかもすぐ奪われて全くつながらない、ゴール前に攻め込んでもシュートを撃たない、なぜかバックパスばかり、そんな試合を見るたびに「何も変わらないんだな」「変わろうとすら思わないんだな」と絶望的な気分になる。一応ハリルホジッチ監督はいろんな選手を招集して試そうとはしているけど、主力は相も変わらず「自分たちの」世代。もう勝手にやってくれ…。そんなこんなのでここ1年くらいはすっかり興味すら薄れていたし、「いっそ、ワールドカップ出場を逃す」くらいの荒療治も必要なんじゃないか? 本気でそう思うことすらありました。

 ところが8月31日のオーストラリア戦に勝利してワールドカップ出場を決める。正直言って毎日仕事も忙しいし、母も入院していたので家事にも追われており「試合を見る」という発想は私には全くありませんでした。いや、もしも興味があるんなら「録画予約→結果などの情報を完全シャットアウト→帰宅後に録画したものを視聴」することもできたんだけど「期待していない」上に「時間がない」状態だったので「そこまでして見たい」という気もしませんでした。どうせ勝っても負けても例の緩い試合、退屈な試合、いつもの「自分たちの」な連中がデカい面して出てくるんなら、録画してまで見る価値などなかろうと。ということで全く録画もせずに出かけ、帰宅後にPCの電源を入れると…。

 例によって真っ先にYahooのトップページに繋がる。そこには「ワールドカップ出場決定」の大きな見出しが。それを見た瞬間もまだ冷めた気持ちのままでした。ああ、あんな緩い試合をして勝って出場を決めたところで、どうせ本戦では前回同様全敗の惨敗が待ってるだけ。そしていつもの「自分たちの」なメンバーがまた増長するだけ。そんな状態ならいっそ、出場できなかった方がよかったんだけどなあ…。だけど多くのネットの記事を開いてみると意外なことが書かれている。「自分たちの」なメンバーは一切出場しなかった、代わりに活躍したのは井手口、久保、浅野らのリオ五輪世代だったとのこと。またメンバーが一新されたことで緩いパスを回すのではなく、縦への速い飛び出しやパスを生かした速攻を多用した試合運びだったとのこと。いや、一体なぜ急に? とは思ったけど、一方で「ああ、よかった」と多少は安堵の気持ちが芽生えました。

 私が「日本サッカー離れ」してしまった最大の元凶は「自分たちのサッカー」。あんな躍動感のない緩いサッカーは見たくもなかった。また前回ワールドカップ惨敗後も頑なにそれを推し進めようとする一部のベテラン・メンバーと、それを後押しする協会やスポンサーにも愛想が尽きていた。だからまだ第一歩とはいえ、「変わろうとしている」こと、そしてその結果「勝利した」「ワールドカップ出場を決めた」のなら、むしろ喜ばしいし、大歓迎だと思いました。同時に「ああ、こんなことなら録画予約しとけばよかった」と悔しく思いました。とはいえ、まだ1試合だけ。本当に「変わる」のか? はまだまだ見極めなきゃいけない。一度親善試合でも何でもいいから試合をテレビできちんと見なければ。

 そう思っていた矢先、休みの日=今日、ちょうどニュージーランドとの親善試合があるという。ということで本当に久しぶりに代表の試合をテレビ観戦しました。なるほど、今までと全く違う選手=大迫、井手口らが躍動している。以前と違って思い切りよくシュートを撃っているし、意味不明なバックパスもない。確かに「変わりつつある」のは分かりました。だけど「ドン引き」してほとんど攻めてこない相手に対して点がとれないのは相変わらず。あとオーストラリア戦で何度か見られたという「縦への速い攻め」は見ることが出来ない。後半に途中出場した乾、小林らが入ってきて多少良くなって何とか勝ちはしたけど、正直言えば「思ったほどでは・・・」というのが素直な感想でした。

 とはいえ「自分たちの」な緩いサッカー、頑なに緩くて短いパスばかり回すつまらない、躍動感のないサッカーからは脱しつつあるのは分かりました。まあ、まだ過渡期なので「本番までに仕上げてくれれば」と思います。また依然と違って「メンバー固定」ではないので、しっかりいろんな選手を試してメンバーを選ぼうという意欲も感じられました。もう「自分たちの」な連中はいいでしょう。個人的には「自分たちの」な連中のサッカーと合わないためにずっと代表で冷遇されてきた、高速ドリブルが売りの乾がようやく代表に定着してきたのが嬉しく思われました。まあ、まだまだ試合内容自体は「微妙」だけど「暗黒時代」が終わるかも? という予感が感じられたのは収穫でした。

[PR]
# by stakec68 | 2017-10-06 23:31 | スポーツ・ネタ

 相変わらず休みも少ない、連休は全くなし、朝早く出かけて夜遅く帰宅する、なおかつ母入院中で家に帰っても家事に追われる、休みの日も母の病院に行く・・・そんな毎日。いつしかこの約11,2年貫いてきた生活パターンも崩れはじめています。

 12年前の2度にわたる大病→入院、手術以降、どんなに忙しくても貫いてきた医師の忠告がいくつかあります。
1.どんなに忙しくても生活が不規則でも、少量でもよいので必ず1日3食しっかり摂る。
2.間食はしない。
3.ほぼ同じ時間に起床、就寝して極力規則正しい生活を送る
・・・本当にどんなに忙しかろうが、生活が不規則になりがちでも、この3つはずっと貫いてきました。1と2は今でも守れています。だけどこの1か月ほど守れなくなりつつあるのが3。

 「休みの日は無理して早く起きない」「気がついたら昼過ぎまで寝ていた」、普通の人にとってはありがちなんじゃないでしょうか。実際、大病する前の私は普通にやってました。でもあの大病から生還して以降の私は、休みの日だろうと、盆や正月だろうと、宿泊先だろうと関係なく、ほぼ同じ時間に起床し続けました。「早出」の日は7時、「遅出」や休みの日の朝は8時、それ以上寝ていたことは本当に退院後、一度もありませんでした。いや、昨年ここに書いたひどい2日酔いの日(こちら)だけは例外、いえ、書いてて思い出しました。まあ、私が休みの日でも「早起き」する理由はもちろん医師の忠告を守るためでもあったんだけど、同時に「せっかくの休みの日に寝ているのはもったいない→そんな時間があれば出かけるとか、ケーブルテレビ見るとか、有効に使わないともったいない」という気持ちもあったからこそ。もう目覚ましをセットせずに寝ても、普通に朝8時には必ず目が覚めるようにすらなっていました。

 ところが忙しい上に母の3度目の入院となった8月以降、休みの日の朝に「寝過ごしてしまう=8時になっても目が覚めない」日が増えてきました。この2か月で3日もありました。特に驚いたのが先週。外が明るく、騒々しいので起きて時間を見ると、なんと10時56分とある。いや、もう昼前じゃないか。こんな時間まで寝ていたのは、一時期奥方生活を送っていた頃を除けば、約20年ぶりなんじゃなかろうか。まあ、それほど仕事以外にもいろいろあって疲れがたまっているのかもしれません。

 とはいえ、もちろん「疲れがたまっている」のも原因なんでしょうけど、それだけでもなさそう。今までなら、間違ってこんな時間まで寝ていたら「せっかくの休みの日の時間を無駄に過ごしてしまった」と後悔するところなんだけど、なぜか「後悔」の気持ちが全くない。考えてみれば疲れがたまりすぎていて「休みの日に出かけたい」気持ちも薄いし、テレビは相変わらず映らないので「ケーブルテレビ見損ねた」気持ちも起きない。それ以外に特に「休みの日にやりたいこと」なんて特にない。そう、忙しすぎて「休みの日の楽しみ」「休みの日にやりたいこと」が私にはほぼなくなっているらしい。いや、なんか寂しい、虚しい生活してるなあ、不意に気がつきました。

 いや、でもそんなこと以前に、いくら「疲れがたまってる」からといって、こんな不規則な生活したらまずいだろう。せっかく退院以降貫いてたのに。




[PR]
# by stakec68 | 2017-09-26 00:21 | 自分自身の話

You Know My Name・・・

 家に帰ってパソコンを立ち上げたらYahooのトップに「吉井守さん死去」との文字が。誰? と思いつつ記事を見る。ああ、チャッピー吉井のことか。そこで2つの想いが。ひとつは「ああ、懐かしいなあ、すっかり忘れていたけどいたなあ」。もうひとつは「えっ? コピーバンドの人の訃報がYahooに載るとは! 意外と有名だったのか?」。訃報は悲しいけど、本当に申し訳ない話だけど「すっかり忘れていた」けど「懐かしい」、私にとってはそんな名前でした。

 実は1998年、まだネットをはじめたばかりの頃、以前も書いたけど(こちら)音楽ネタ以外のボードで知り合ったメンバーと頻繁にオフ会などを行っていました。そのグループの中にビートルズが好きな人やちょっと興味のある人が数名いました。決して「ロック・ファン」「マニア」というほどではない人たち。その中の一人に「ライブハウスに行かないか?」と誘われて行ったのが六本木のアビーロードなるライブハウス。そこに出演していたのがパロッツなる名前のビートルズのコピー・バンドでした。そのリーダーでジョン役だったのが実はチャッピー吉井。当時の私は表のサイトを立ち上げたばかりで「マニア」を気取っていた頃だったので、最初は「コピー・バンドなんて・・・」という冷めた目で見ていました。まあ「お付き合い」だから仕方ない。最初のうちは「ここが似ている」「ここが似てない」「このパートは本当はジョンなのにこのバンドではジョージ役の人がやってる、分かってない」等々・・・。

 もちろんコピー・バンドってのは「ここが似てる」「ここが似てない」、そんな形で評価されるのは致し方ない。だけどそんな「分析」するような冷めた目で見ていたはずのマニア気取りな私が、次第にそのステージに引き込まれていきました。MCが面白くて気が利いている、「まさかこんな曲をやるのか」な意外な選曲、While My Guitar~ではジョン役のはずのチャッピー氏自身がクラプトン張りのギターソロを熱く弾きまくる。「似てるかどうか?」以前に「客を楽しませる、喜ばせる」のが非常に上手い。確かに「コピー・バンド」かもしれないけど、十分「エンターテイメント」として成立している。いや「似てる」と評価する人も多かったみたいだけど、私個人は「コピー度はそれほど高くない」と思いました。でも、そんなこと抜きに十分楽しい。だったらこれはこれでいいだろう、そう思いました。極めつけはまさかのYou Know My Name。いや、こんな曲までカバーするかよ!! 驚いてしまったし、メンバー全員が奇声を発して必死にこの曲を再現する様がおかしくて大爆笑してしまいました。もちろん、観客全員が大爆笑。いや、十分素晴らしいエンターテイメントじゃないか。

 ちなみにアビー・ロードには同じメンツでもう1回だけ行きました。結局、先のリンク先にあるようにこの「オフ会集団」からは「脱退」したので、パロッツのステージを生で見たのはその2回だけでした。また2001年には地元に戻ったこともあって、その存在もすっかり忘れ去っていました。でも考えてみればステージを生で見るよりずっと前、いや、ビートルズに出会ったばかりの1980年代末から私はチャッピー氏に少なからず影響を受けていたことも思い出しました。表のサイトのこちらのテキスト(こちら)で触れているけど、1988年後、地元福岡のAM局のKBCでオールディーズ・ステーションというラジオ番組をよく聴いていました。この番組で隔週でビートルズについて語っていたのは、実は東京進出前、福岡キャバーン・クラブに出演していたビートルズのコピー・バンドでジョン役を務めていたチャッピー氏でした。実はパロッツのジョン役とこのパーソナリティが同一人物だということを知ったのは、21世紀に入ってからのことでした。いや、実は結構この番組には影響受けたものです。

 というわけでたった2回しかステージを見てないし、以降すっかり忘れていたけど、訃報を見てその存在を思い出した次第です。いや、こんな書き方は思い入れのある方には申し訳ないかもしれないけど、これが今の私の素直な気持ちです。だけどあの日、似てるかどうか云々、最初は分析しながら見ていた私を惹きつけ、楽しませ、最後はYou Know My Nameに大爆笑させられた、そんな楽しいひと時を過ごさせて下さったことには感謝せずにはいられません。

[PR]
# by stakec68 | 2017-09-16 00:53 | 音楽ネタ