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落書き帳

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2013年 08月 26日

ルールに違反していなければ何をしてもいいのか?

 気がつけばもう8月も終盤、毎日忙しく過ごしている間にあっという間に夏が終わろうとしています。この10年ほどは毎年、そんな感じだけど。というわけで、知らないうちに始まって、知らないうちに終わっていたのが高校野球。まあ、私は今ではすっかり興味がなくなったので(こちら)、別にあまりどうでもいいんだけど、なんか、毎年のように、不祥事だのフェアじゃない采配やプレーが話題になったりしてる様子。今年もある高校が露骨なサイン盗み=スパイ行為をやっていたことが発覚、その直後に同じ高校のある選手が、「ルール違反スレスレ」の微妙な打法を注意されたとかというニュースが。

 まあ、私が高校野球を「見限った」理由のひとつに、「教育の一環」といいながら、露骨な選手の引き抜き=越境入学の横行があったり、「勝つためなら何をやってもよい」とでも言いたげな、勝利至上主義な野球をやる高校があったりするため。しかも、そうした高校ほど強かったりするわけで、「ただの高校生の部活動」を大きく逸脱した大会になっているからに他なりません。かつての名監督、池田高校の蔦監督とか、箕島高校の尾藤監督などは、「野球の指導者、指揮官」である前に、「学校の先生」だったもの。だから、野球を通じて、「選手」ではなく「生徒」を教育する人、そんなイメージでした。

 だけど今の監督は、単なる指導者。チームを勝たせるための指揮官。だから、勝つためには手段を選ばない。相手選手の心を深く傷つけるような卑怯な手段も「勝つための作戦」と平然と開き直る。時には相手を蔑んだり、侮辱したりするようなコメントも平気で吐く。最早「教育者」じゃない。今回の監督もどうやら、そういう人らしい。「サインを盗む」「合図を送る」ことを指導し、指示したのは他でもない、監督のはず。そして「微妙な打法」も監督の指示、指導の結果、生まれたもののはず。「勝つためには汚いことをしてもかまわない」「ルールに違反さえしなければいい」、そういう指導を受けた「生徒」は、当然感覚が麻痺しているから、罪悪感などない。そして「多少汚いことをしても成功すればよい」「ルールに違反さえしていなければ何をしてもよい」、多感な時期に刷り込まれた高校生は、社会に出てもそう信じて生きていくんだろう。このニュースを論じる人たちの意見を見ると「ルール違反か否か?」ばかりが取り沙汰されているけど、私はむしろ「ルールに違反していなければ何をしていいのか?」という想いでいっぱいだし、同時に「今の教育現場ではルール違反でなければ何をしてもよいと教えているのか?」と思うと、大袈裟ではなく背筋が凍る想いです。

 今の世の中、「多少汚いことをしても、法律やルールに触れなければいいんだ」という考え方が蔓延しているように思います。「人を騙して金儲けしても、法律に触れない範囲であれば犯罪にはならないし逮捕されない、訴えられても裁判になれば勝てる」からといって、詐欺スレスレの商売に手を染める奴。「麻薬と同じ成分や効果があるが、持っていても法律に触れない薬物」に手を出したり、売って儲けたりする奴。21世紀に入った頃から、やっていることは道義的、道徳的に見ると「悪」だけど、法律やルールには触れていない、だから「俺は悪くない」と開き直る、罪悪感が全くない人が、明らかに以前よりも多いように思います。私には今回の件、単なる高校野球、スポーツの世界での話題というより、今の日本の社会を象徴するようなニュースだなという印象を持ちました。同時に、本当に高校野球なんて、もはや「部活動」でも「教育の一環」でもないんだということがよりはっきり分かりました。ますます「もう見ることはないだろう」という思いを強くしました。

by stakec68 | 2013-08-26 00:30 | スポーツ・ネタ


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