2015年 09月 14日
私は今、自宅から徒歩10分ほどの最寄バス停まで歩いて、そこからバスに乗車して通勤しています。その「バス停までの道」は表通りではなく、地元住民しか通らないであろう裏道、いわば「抜け道」。実はこの道、高校3年間は私にとって「学校への通学路」だったし、予備校時代もずっと「バス停までの道」だったので、約4年間、毎日のように歩いていた道でもあります。大学時代の4年間→就職して地元を離れていた約9年間の合計13年間は全く通らなかった道だけど、地元に帰ってきた2001年以降はずっと「通勤のため歩く道」になっています。つまり随分長いこと、毎日のように歩いている、私にとっては「通り慣れた道」というわけです。 その道の途中の景色は随分変わりました。まあ30年以上経っているから当然といえば当然でしょう。途中にあった空き地には新しい立派な家が建ち、小さな会社の事務所があった場所に高層マンションが建ち、小さな鉄工所のあった場所が駐車場になり、個人経営の米屋や駄菓子屋は閉店して…。 そんな「何年も通り慣れた道」に、ちょっと立派な一軒家がありました。その家は木造の塀に囲まれ、広い庭があって、その庭には大きな柿の木があり、木造の門柱には大きな表札が打ち付けられていました。そこには家族3代の名前が書かれていました。確か6人か7人家族だったと。高校時代や予備校時代、朝登校時にその家の前を通ると、味噌汁のいい匂いがして、小学生くらいの子供が駆け出して行くのをよく見かけました。夕方下校時には夕食の準備をする匂いが漂う。下校が遅くなって7時過ぎに前を通る時は、夕食のいい匂いと、食卓を囲んでの賑やかな声や、テレビの声が聞こえてきて、「腹減ったなあ、俺も早く帰って夕飯食べたい」とか「俺も早く帰ってテレビ見たい」などと思いながら前を通っていたものでした。父の出張が多く、祖父母とも同居しておらず、家族揃っての夕食なんてほとんどなかった私にとって、その家はまるでサザエさん一家のような「理想的な家」に映りました。そして庭付きの立派な家は、マンション住まいの私には羨ましく映ったものでした。 私が地元に帰ってきた2001年、また同じ道を通って通勤するようになった頃も、この家は健在。表札が外されていたので何人で住んでいるかは不明だったけど、やはり夜遅くこの家の前を通りかかると、夕食のいい匂いとテレビの声や家族の話し声が聞こえてきたものでした。その後はあまり気に留めたことはなかったけど、確かに数か月前までは前を通る時には明かりがついていて、テレビの声が聞こえていました。まあ、庭が徐々に荒れ気味になっていたし、賑やかな話声こそ聞こえてくることはなかったけど、確かに「人が生活している」気配はありました。 ところがつい先日、前を通ると木造の塀にロープが張られ、「売物件」の小さな看板が。今は日本全国至るところで「廃墟」化する古い住宅が多いとは聞いています。実際、この「通り慣れた道」はもともと立派だけど古い住居が多かった。その分「廃墟」になった家、家が取り壊されて更地になった土地も多いのは事実。だけどそんな中で最も見慣れた家、そしてあの頃、あんなに賑やかだった家が「廃墟」になってしまったという事実は、何の縁もゆかりもない人の家であるにもかかわらず、とても寂しい気持ちになりました。あの賑やかな家族の声、朝食や夕食のいい匂い、私が憧れた庭付きの立派な家、それが今や誰も住む人もいない廃墟に・・・。前を通ってももう、あの賑やかな声も聞こえない、あの匂いもない、明かりもついていない薄暗い廃墟。「30年」という年月を感じるとともに、実に物悲しい気分になって、足早にその家の前を通り過ぎて家路を急ぎました。ああ、腹減った、早く帰って夕飯作らなきゃ。
by stakec68
| 2015-09-14 00:33
| 社会
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