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落書き帳

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2017年 02月 06日

ジワジワ来る訃報2つ・・・

 うーん、ジャンルを「テレビ・芸能」にしたけど、半分は「スポーツ・ネタ」。

 この数年「物心ついた頃からごく当たり前に見ていた人」や「ロック気分だった頃に親しんできたアーティスト」の訃報が相次いで、そのたびにショックを受けてきた私。まあ、自分自身ももう40代後半なので、当たり前といえば当たり前なんでしょうけど、「どんどん時代が変わっていく」「『俺の時代』が遠くなっていく」ことを実感させられます。つい先日も松方弘樹のような「大物」の訃報もありました。ただ思い返してみるとこの人が出ていた番組はそれほど多く見ていないので「ショック」というほどではありませんでした。むしろ私が喪失感を感じたのは「当たり前のように子供の頃からテレビで見ていた顔」と「日本のサッカーがプロ化する前のサッカー中継で頻繁に見た解説者」の訃報の方でした。

 もう随分前になるけどこんなもの(こちら)を書きました。幼稚園~小学校低学年の頃=1975年前後平日の朝に放映されていた「ロックでクレイジーな子供向け教育番組」こと「カリキュラマシーン」、本当に大好きでした。つい先日も某動画サイトで偶然この番組の動画を発見、久しぶりに見てその「狂いっぷり」に驚きつつ大笑いしたばかりでした。その「カリキュラマシーン」でとぼけた味を出していた「インチキおじさん(当時私はそんな風に見ていました)」藤村俊二の訃報を目にしました。同じ「昭和9年会」の大橋巨泉や愛川欽也も既に故人なので驚きはしなかったけど、とても寂しい気持ちになりました。その後も「ぴったしカンカン」ではいつも正解が分かっていながらわざとボケたり焦らしたり、「なるほどザ・ワールド」では荒井注とコンビを組んでとぼけた回答を繰り返したりしていて、私の中では「とぼけたクイズの回答者」というイメージでした。でもとぼけてるけど、なぜか品があってオシャレで、決して出しゃばったりはしない。実は本職は振付師だということ、知ったのは1990年代に入ってからでした。正直言って特に思い入れのあった人でもないけど、子供の頃から当たり前のようにテレビで見ていた顔。決して派手ではないけど、絶対に他の人には出せない味がある人。だから今回の訃報聞いた時「ああ、寂しいなあ」というジワジワ来るような喪失感を味わいました。

 そしてもう一人。私がサッカーを見るようになったのは、1980年か1981年頃だったと何度か述べてきました。でも当時はサッカーなんてマイナー競技だったので、中継なんてほとんどない。あるのは元旦の天皇杯の決勝、高校サッカー、日本代表の試合(キリンカップ、オリンピックやワールドカップの予選)、トヨタカップ(クラブ・ワールドカップの前身)くらい。あとは地味に深夜にやっていた、当時は日本代表とは全く無縁だったワールドカップの中継、そんなもの。そしてサッカー中継の解説者といえば、松本育夫と岡野俊一郎の2人しかいない。どの中継を見ても出てくるのは2人。だからJリーグ開幕前のいろんなサッカーの名場面を思い出す時、いつも2人のいずれかの解説が聞こえて来るかのよう。サッカーなんて報道される機会もほとんどなかったから知識も乏しく、だからこそ2人の解説のおかげでサッカーの楽しさ、面白さを知ったし知識もついたものです。その2人のうちのひとり、岡野俊一郎氏の訃報を聞いた時、やはり私は「ああ、もうあのJリーグ開幕前のサッカー中継を見ていた頃も遠くなってしまったんだな」と寂しい気持ちになりました。もちろん岡野氏といえば、その後はサッカー協会やJOCの要職も務めた人なので、訃報にあたってそのあたりの功績が語られているようですが、やはり私にとっては「あの頃最も馴染みのあったサッカー解説者」というイメージが強いです。

 というわけでジワジワと寂しさを感じずにはいられない2つの訃報でした。


by stakec68 | 2017-02-06 00:21 | テレビ、芸能


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