2016年 01月 25日
1983,4年頃、私が中3か高1の頃だったと思います。いつものように「欽ちゃんのどこまでやるの」を見ていたら、ゲストに松原智恵子が出演していました。この番組にはゲストが「萩本家」の茶の間に座って、萩本欽一や真屋順子、見栄晴などとトークするコーナーがあり、毎回いろんなジャンルのゲストが登場していました。当時の私から見れば、松原智恵子といえば母親と同世代の人なので「ああ、オバサン女優ね」くらいのイメージ。まあ、当時は2時間サスペンスによく出ていて、いつも事件に巻き込まれて不幸になって泣いている役ばかりやってるなとか、石立鉄男主演の「天まであがれ」というドラマでは石立演じる主人公に勝手に片思いして、池上季実子演じるヒロインとの間に割り込んでくるウザいバツイチ女の役をやっていたな、というくらいの認識はあったけど、特別印象に残る女優でもありませんでした。 だけどこの日、ゲストとして登場した松原智恵子を見て、なぜか心惹かれるものが。確かに母親と同世代の「オバサン」なんだけど、なんとも言えない気品やオーラがあって「キレイ」というより「カワイイ」なと。声もキレイだし話し方も気品がある。しかもトークを聞く限り、気さくで飾らない人柄で親しみやすい。「趣味はドライブ、高速を思いっきり飛ばすのが気持ちいい」などと、ちょっと「お転婆」「男勝り」な一面もあって、そのアンバランスさもまた魅力的。実際、私と同世代(2歳上)の見栄晴もデレデレになっていたし。私も思わず一緒にテレビを見ていた父に「この人、若い頃滅茶苦茶美人やったんやない? 今でいうアイドルみたいに見えるけど」と聞いてしまいました。父は「昔の日活の看板女優で吉永小百合と人気を二分していた」と説明してくれました。とはいえ、当時中学生か高校生だった私が、母親と同世代の女優にそれ以上興味を持つはずもなく、そんな会話を交わしたことなどとっくの昔に忘れていました。 昨年末、ケーブルテレビで視聴できるチャンネルNECOというCS局で「ある日わたしは」なるドラマが放映されるとの告知が。なんでもVTRが行方不明になっていたとか、いないとかの「幻のドラマ」とか。リアルタイム放送は1967年~1968年4月、1968年7月生まれの私にとっては「生まれる前」のドラマ。当然知らないドラマだけどチャンネルNECOが熱心に宣伝している。放映前、チャンネルNECOで番組宣伝が流れる。いきなり画面に大映しされた主演女優の顔アップを見た瞬間、思わず息が止まりそうに。なんとお美しい、なんてカワイイ、とてもこの世のものとは思えない。字幕を見ると「出演、松原智恵子」とある。ああ、そうだ、この人、昔「欽どこ」見た時に「母親と同世代だけどキレイ、カワイイ」と思ったあの人だ。そして例の美しい声、気品のある話し方、もう、これは絶対に見なければ・・・。 というわけで昨年の秋から始まったこのドラマ、毎週欠かさず見ています。ストーリー自体は金沢から上京して大学に通う、松原智恵子演じる女子大生が大学生活や恋愛を謳歌するという、時代の感じられる内容。とにかく恋愛観も価値観も、私の年代から見れば古いという印象しか持てないというのは正直なところ。あと幼なじみの男子学生、隣の家に住む歯科医の長男、ちょっとグレた次男など多くの男に「想われている」ことを分かっていながら気持ちが揺れる主人公って、男の私から見るとあまり良い印象は持てないし。それに昭和40年代前半の古いドラマにありがちな「緩い」展開にも何となく波長が合わないし。なので「面白いか?」と言われれば「うーん、まあ、こんなものなのかなあ」レベルというのも正直な感想です。 だけどストーリー云々じゃなく、やっぱり松原智恵子がひたすら美しくてカワイイ、見ているだけで幸せな気分になれます。友達や妹(演:ジュディ・オング、若い頃のこの人もカワイイ)にからかわれてふくれっ面になる、すねたような表情になる、隣の歯科医の長男の診察を受ける時「口を開けて」と言われて恐々とした表情で口を開ける表情、その後ちょっと気恥しそうにうがいをする表情、隣の次男に説教する時の凛とした表情、もう、すべてが可愛らしくて美しい。あと茶色いリボンの形をした髪留めもとってもお似合い。ファッション・センスもよくって、今の時代に現れてもみんなが振り返ること間違いなし。このドラマの主人公の性格も、気品があって美しくて優しい、でも芯が強くてちょっと男勝り、とっても庶民的で気さくで親しみやすい。ほとんど素の松原智恵子そのものなんじゃないか。あの「欽どこ」のトークのままのイメージ。だからストーリー云々というより「松原智恵子という女優のイメージビデオ」のようなものと思えばいいのかも。とにかくどのシーンにも松原智恵子の魅力で溢れている、そんなドラマだと思います。 自分がリアル・タイムでは見ていなかった古い時代のドラマや映画を見て、こんな気持ちになった女優は過去に芦川いづみ(こちら)くらいしかいませんでした。でも芦川いづみの場合は「和製ヘップバーン」という感じで「雲の上の人」という印象なのに対し、この人の場合はもっと庶民的なので、より親しみやすさもある。本当にこのドラマの中の松原智恵子にすっかり魅了されています。チャンネルNECOはもともと日活と提携しているので、往年の日活の映画も多く放映している局。今後は往年の松原智恵子主演の映画も見ていきたいと思っています。しかし同じ日活の吉永小百合と同期で同い年らしいけど、なんでこの人ではなく吉永小百合の方が「大女優」になってしまったんでしょうか? 私にはどう見ても逆じゃなきゃ納得できないんだけど・・・。実際、80年代にはサスペンスの「汚れ役」ばっかりやっていたわけで、その「差」が不思議でなりません。 #
by stakec68
| 2016-01-25 01:02
| テレビ、芸能
2016年 01月 20日
年明け以降ロック・ネタばかり書いているけど、たまにはスポーツ・ネタも書きたいし、今世間を騒がせている某男性アイドル・グループの解散騒動や、「芸無し好感度だけタレント」の不義密通ネタなども、あまり関心はないけど思うところもあるのから少しくらいは触れようか・・・。などと考えていたところ、またしても思わぬ訃報が。 朝起きてPCをネットに繋いだところ、目に飛び込んできたのが「グレン・フライさん死去」の文字。ボウイの時のように「まさか」とか「嘘だろう」というほどの強い衝撃ではなかったけど、やはり寂しさを感じずにはいられませんでした。「じわじわ来る喪失感」という感じでしょうか。表のサイトの(こちら)のテキストで触れている通り、「ビートルズ一筋」を脱し、様々なロックを聴きたいと思い始めたのは1988年後半。最初に購入したのはストーンズの60年代のベスト、次に購入したのがイーグルスのベストでした。リンク先にも書いているけどHotel Californiaがヒットしたのは、私が小3の頃。洋楽であるにもかかわらずピンクレディや沢田研二の曲に混ざって、シングル・チャートの上位に上っていたので、洋楽なんて全く知らない私ですら当時から馴染みのあるバンドでした。なので「もっとビートルズ以外のロックも聴きたい」と思い立った1988年の秋、真っ先に購入したのは「昔から馴染みのある」イーグルスだったというわけです。 Hotel Californiaに限らず、そのベスト盤に収録されていた曲の大半は馴染みのある曲ばかりでした。一方でバンドの足跡やメンバーに関してはほとんど知識がありませんでした。だけどそのベスト盤にはイーグルスの歴史を紹介した長文のライナーと、非常に大きなイーグルスのファミリー・ツリーがついていました。おかげでメンバーの名前や人となり、メンバーの入れ替わり、オリジナル・アルバム、足跡などを一気に知ることが出来ました。どちらかといえば「鰤派=ブリティッシュ・ロック派」だった私だけど、イーグルスのサウンドはなぜか私のツボだったし、ロックに目覚めてごく初期から親しんだバンドだったこともあり、1990年代のうちにオリジナル・アルバムもすべて揃えてしまいました。「鰤派」の私にとって決して優先順位の高いバンドではなかったはずなのに・・・。 そして表のサイトの(こちら)でも述べているけど、1990年代半ばに再結成、そして来日公演も行われることに。当時松本在住だった私だけど、東京までは日帰りでも行ける。テレビの深夜番組を見ていたら偶然「番組をご覧の皆さんのために先行予約受付」との告知を目にしたので迷わず日本武道館公演のチケットを購入しました。私の中ではHOTEL CALIFORNIA期=フライ、ヘンリー、マイズナー、フェルダー、ウォルシュがベスト・メンバーだと思っていたので、ベースがマイズナーではなくティモシーなのが不満だったけど、まあ致し方ないだろうと。そしてライブを心待ちにしていたんだけど…。私自身が突然、北海道の函館に転勤に。さすがに函館から東京までライブのために出るのは厳しく、せっかくチケットを購入していたのに断念・・・。その後も何度か来日公演は行われたけど、フェルダーが脱退、私の思う「ベスト・メンバー」から2人も欠けたイーグルスなど見たくもなくって…。そのことを思えば、1995年のライブを見ることが出来なかったことは重ね重ね「痛恨」です。そして今度はフライ&ヘンリーの「両輪」の片方が欠けてしまった…。ますます持って「痛恨」の極みです。 実は私が最も好きなイーグルスのメンバーは強いて選べばドン・ヘンリーかもしれません。Hotel Californiaはもちろん、Desperadoなど代表曲の多くをどすの利いた声で歌う、その歌声が印象深いせいでしょう。だけど「ハードな曲」「重厚な曲」ではなく、「軽快な曲」「軽やかな曲」を聴きたい気分の時は、時としてドン・ヘンリーの声は「重苦しい」と感じることもあります。そんな時はTake It Easy、Lying Eyes、Tequila Sunriseといったフライの、爽やかで軽やかな歌声が心地よく感じられます。特に「ロック気分」が薄れた2008年以降、なぜか私はフライの声の方に惹かれるようになりました。ひょっとすると私が年をとったせいなのかもしれないけど…。そして数日前も何かのBGMでTake It Easyが流れているのを耳にして「ああ、心地よいサウンド、歌声だな」と感じたばかりでした。 それなだけに「衝撃」とかではなく、なんとなく「喪失感」「寂しさ」を感じた訃報でした。今となっては1995年の来日公演、無理してでも上京すればよかったと後悔しています。 #
by stakec68
| 2016-01-20 01:55
| 音楽ネタ
2016年 01月 18日
ジャンルを「音楽ネタ」にしたけど「自分自身の話」でもいいのかも。 デヴィッド・ボウイの訃報にショックを受けて以来、2008年以降では最も「ロック気分」が復活しています。今までもジョン・ロードの訃報で数日間「パープル気分」が続いたこともあったし、ビーチボーイズのオリジナル・メンバーでの復活時に「ビーチボーイズ気分」が約1週間続いたこともあった、その他にもケーブルテレビの音楽専門チャンネルでロック系のドキュメンタリーやライブ番組を見て、数日の間だけ「気分」になったこともあった。だけど今回の「ボウイ気分」は今まで以上に長くて、しかも「強い」。とにかく「聴きたい、見たい」気持ちが異常に強く、気がつけばボウイの曲を口ずさんでいる自分に気がつくほど。 極めつけは私が2004年に見た「リアリティ・ツアー」の映像を見たくて、見たくて仕方ない気分に。あのライブの直後、ライブDVDがすぐに発売されたもの。私は「自分が見たライブのビデオが出たらすぐに購入する」主義だったので当然「買いたい」とは思いました。だけど2004年当時の私の家にはDVDプレイヤーがありませんでした。プレイヤーがなくってもPCで見れるけど、当時の私が使用していたPCは1997年購入のWindows95時代の骨董品のようなPC。そのPCではDVDを見るなんて絶対無理。つまりDVDを見ることが出来ない環境だったので「ビデオはないのか?」と思ったけど、2004年には既にビデオなど廃れていて発売されず…。ということで発売当初は購入することが出来ませんでした。しかもその後、同じ2004年の夏のザ・フー初来日、以降しばらく「ザ・フー以外の音楽を受け付けない」状態になってしまったので、「リアリティ・ツアーのライブ映像を見たい」気持ちなんてすっかり吹っ飛んでしまいました。 そんなこんなでリアル・タイム発売時に購入しなかった、見なかったこのツアーのライブ映像、今回の訃報に触れて突然「見たくて見たくて仕方ない」状態に。「訃報に触れて、そのアーティストの音楽を聴きまくる」って行為、かつての私が最も嫌っていたはずなのに・・・。だからなんとなく不本意なんだけど、でも「気分」は自分でコントロールなんて出来ないもの。とにかく「見たい」。でも「ロック気分」「音楽気分」が遠ざかって久しい私が、こんな気持ちになるなんて自分でも意外です。 ということで、某通販サイトでリアリティ・ツアーのDVDを注文してしまいました。やはりといおうか、品切れ状態だったようで入荷まで時間がかかったけど、ようやく入荷したようで、もうすぐ届く見込み。しかしロック関連のDVDやCDを購入するのって、おそらく4、5年ぶりになります。同時にケーブルテレビの音楽系のチャンネルでも頻繁にボウイの追悼番組が放映されているので、このところそうした番組もよく見ています。それだけではなくって・・・。 年明けから始めたギターですが、相変わらず上手くフレットを押さえることが出来ずに苦戦中です。でも「人の数十倍不器用で時間がかかる」ことは分かっているので、簡単に諦めるつもりも、投げ出すつもりもありません。ひたすら触り続けるのみです。そんな中同じ「慣れるためにひたすら触りまくる」のなら、「ドレミファソラシド」とか「練習、訓練用のTab譜の意味不明なフレーズ」を弾くより、「自分の弾いてみたい曲」「『気分』な曲」を弾いた方が上達するのでは?との想いも。そこでネットで今の「気分」な曲、ボウイの曲のTab譜を検索しようと思い立つ。 Rebel Rebel、Suffragette City、そしてボウイがモット・ザ・フープルに送った曲ではあるけど、私の中では「ボウイの代表曲」というイメージのAll The Young Dudesの3曲のTab譜を開いてみる。しかし前者2曲は、同時に2つ、3つの弦を押さえて弾かなければならず、今の私のスキルではとても弾けそうにない。だけどAll The Young Dudesは1本の弦を押さえながら1本の弦をピックではじけば弾けるレベルで非常にシンプル。これはいけるかも。ということで早速弾いてみる。最初は一音一音、ゆっくり押さえてつま弾かなければ弾けなかったけど、何度も何度も繰り返すうちに、あの印象的なイントロに聞こえてきた。どうも2弦だけチューニングを変えないといけないみたいで、ちょっと違和感はあるけど、確かにあの曲のイントロに聞こえる…。もちろんぎこちないし、テンポもよくないけど、確かに弾けるようになりつつあります。 といってもこの曲のイントロが簡単だから今の私でも弾けるというだけなので、まだまだ「他の弦に触れないようにうまく弦を押さえる」訓練を続けないといけないけど、「自分の好きな曲」がぎこちないながらも「弾けた」というだけでモチベーションも上がりました。そんな感じで「見る」「聴く」だけではなく、今の私は「やってみる」という新しい分野も発掘したので、「気分」になった時の楽しみが増えました。次はもうすぐ届くDVD、12年ぶりにあのライブの興奮が蘇りそうです。 #
by stakec68
| 2016-01-18 00:47
| 音楽ネタ
2016年 01月 11日
この「落書き帳」、この2,3年は「最低でも週1回は何か書く」を目標にしています。「書きたくて仕方ない」ネタがある時はいいんだけど、あまりネタがない時は「ちょっと気になったネタ」を取り上げて書いているし、それすらない時には無理矢理ネタを探して書くこともあります。昨日、今日は休みだけど「書きたくて仕方ないネタ」は何一つない一方、「ちょっと気になったネタ」が3,4つあるので「どれについて書こうかな」とあれこれ考えつつ、Yahooのトップページを眺めていたところ「デヴィッド・ボウイさん死去」の文字が目に飛び込んできました。「デヴィッド・ボウイさん?」「死去?」、一瞬何の事だかわからず、しばらく考えた後、思わず「嘘だろう」と声を挙げてしまいました。同時に、この数年味わったこともなかったような空虚感、喪失感を覚えてしまいました。 「ロックに夢中」だった1988年頃~2007年頃の私にとって、もちろん好きなアーティストであった反面、「熱烈なファン」だったとは言えません。表のサイトのALADDIN SANEのレビュー(こちら)や2004年の大阪での来日公演のライブレポ(こちら)の最初の章で詳しく述べているけど、私がはじめて買った彼のアルバムは1990年のベスト盤CHANGES BOWIE。でもティンマシーンなどのリアルタイムでの活動にはあまり興味が湧かなかったし、アルバムの数が多すぎるし、時代によってやっている音楽が違いすぎるのでオリジナル・アルバムを購入したりもしませんでした。その後、1990年代半ばに2枚組ベストSINGLESを購入、そこから「とりあえずグラム期を」ということでZIGGY STARDUSTとALADDIN SANEを購入したのは2000年代に入ってから…。2004年の来日公演に行ったのは「往年のアーティストのライブは見れるうちに見とかなきゃ」という強迫観念に駆られたせい。なのでこの時点での私は間違っても「熱心なファン」とは言えなかったと思います。 だけどそんな私の認識が一転したのは、2004年の来日公演。リンク先のライブレポにもある通り、その程度の認識で参戦したにもかかわらず、すっかり魅了されてしまいました。時代によってやっていることは全く違うけど、純粋に「いい曲」ばかり。アーティスティックなことをやっているのに敷居が髙くなり過ぎない絶妙のバランス。そして何よりも純粋にカッコいい。もちろん「カッコいいロック・アーティスト」っていっぱいいるけど、ルックスがよく、声がよく、ライブ・パフォーマーとしても一流、とにかく非の打ち所がない。当時50代なのに、異常なほど若々しくって20代女性が黄色い歓声を上げる、でもそれも納得できる。新しめの曲の大半は会場ではじめて聴く曲ばかりだったけど、同世代のアーティストのように「往年の作風をなぞる」のではなく、未だに新しいことに挑戦する意欲が感じられる…。こんなアーティストは唯一無二。 2004年といえば私の「ロック・ファン遍歴」では既に末期だったけど、末期になって初めて本気ではまりました。もしも「ロック気分」が今でも続いていたら、ビートルズやストーンズ、フーやキンクスは既に「聴き尽した」感もあったので、もっともっとはまって、多くのアルバムを買っていたことでしょう。「ロック気分」が冷めた2008年以降、YOU TUBEなどの動画サイトを見る機会が多くなりました。今となってはあまりビートルズやストーンズ、フーやキンクスの動画を見ることはないけど、不思議とボウイの動画はよく見ています。しかも2016年1月にはまたしても新作が出るとかで、ケーブルテレビの音楽専門チャンネルでも2015年末から頻繁にボウイの特集が流れていました。それらを見た影響か、年末は久々にボウイのアルバムを聴いたりもしました。「ロック気分」が冷めた今となっては「ロック・アーティストのライブに行きたい」気持ちは薄いけど、なぜかボウイならもう1回見てもいいかな、そんなことを考えていました。 ・・・そんな矢先の訃報、それなだけに見た瞬間、何が起こったか認識できなかったというわけです。新作出たばっかりでしょう? プロモーションとかやってるし、元気なものと思ってた。また来日するものと思ってた。それなのに・・・。しかもまだ60代、当然「ビートルズやストーンズのメンバーの後」だと思っていたので、まさかこんなに早くという想いも有りで…。速攻で動画サイトに行って、グラム期のスタジオ・ライブのStarman、私の見たリアリティ・ツアーの時のRebel Rebel、All The Young Dudesの動画を見てきました。そして今、久々にSINGLESを流しながらこれを書いています。そういえば最新作のタイトルは★だったそうだけど、本人の中では「遺作」という覚悟があったのかもしれません。 正直言えば、私が「ロック気分」まっただ中だった頃に夢中で聴いていたアーティストは、既に60台後半~70台に突入しているので、訃報を聞く「覚悟」はできているし、最近では聞いても驚かないことも多くなりつつあります。だけど、まだあんなに若々しかった、永遠に年をとらないと思っていた人、しかも最新作発表と積極的なプロモーションを行っていた人の訃報を聞くとは思ってもいませんでした。こんなに「ショックを受けた」訃報、激しい喪失感を覚える訃報は久しぶりかもしれません。 #
by stakec68
| 2016-01-11 18:13
| 音楽ネタ
2016年 01月 07日
1/1に見た2本の映画でモチベーションを上げたところで、1/2からいよいよ実際にギターに挑戦。専ら「聴く」が専門だったので、実は音楽を「やってみる」ための知識はゼロ。例えば譜面が読めないまでも、音を聴いて「ド」なのか「レ」なのか認識できる人、CDを聴いて「この曲のキーはEだ」などとキーを認識できる人って多いけど、私には全く分からない。そしてギターに関しても「ピックガード」とか「フレット」とか言われても意味が分からない。そんなレベルから実際に「やってみる」わけだからもう、これが大変で大変で…。 ギターと一緒に送られてきた「教本」の1ページ目にギターの「部位」の説明が載っている。「ああ、フレットってこういう意味なんだ」「ああ、これがピックガードなんだ」。「6弦が下の細い弦で、1弦が一番上の太い弦」ということもはじめて知った。次に「チューニングをやってみよう」とある。「音を聴いても認識できない」レベルなので自力でチューニングするなんて絶対に無理だけど、幸いにも付属品としてチューナーが付いていたので開封してみる。うーん、教本に載っているチューナーと全く形が違う。教本にはシールドを繋ぐタイプのチューナーの使い方しか載ってないけど、私の手元にあるのはクリップ式。なので「どうやって使うのか?」よく分からん。一応取扱説明書もついていたけど、よりによって英語・・・(笑)。仕方なく「おそらくこう使うんだろう」という「勝手な推測」で我流でチューニングして教本の次のページへ。 次のページから「実際に弾いてみよう」とある。Tab譜の見方が分かりやすく解説されている。全く知識のない私でも非常に分かりやすく、このあたりはあっさりクリア。ところが、Tab譜通りに左手での指で弦を押さえて弾いてみたけど…。おかしい、音が鳴らない。壊れているのか? と思ったけど実は弦の押さえ方が悪いらしい。力を入れ過ぎても、力を抜きすぎても鳴らないし、押さえる場所が悪いと鳴らないし。いや、この「押さえ方」は理屈じゃなく、実際に何回も何回も押さえて「体で覚える」しかなさそう。まあ、慣れれば何とかなるか。ところが、またしても次の難関が。 今度は「コードを弾いてみよう」とある。「簡単なコード」としてEとAが紹介されているので、Tab譜通りに弦を押さえて弾いてみる。ところが、どうやっても上手く鳴らない。Eを弾くのに3弦を押さえている薬指がどうしても下の4弦に当たるので4弦が上手く鳴らず。仕方なく指を少しずらすと、今度は4弦を押さえている人差し指が真下の5弦に当たって5弦がミュートされた状態に。「指を立てろ」とか「爪を短く」とか「なるべくフレットの近くを押さえろ」とかいろいろ書いているので実践したけど、やっぱり結果は同じ。その後、ギターの構え方、持ち方、姿勢、親指の位置、手首の使い方など様々なところを矯正してみたけど、やっぱり結果は同じ。今日1/6まで何度も何度も、数十回試したけどやっぱりダメ・・・。いや、まだ教本の5ページ目くらいなのに、こんなに早く「止まって」しまうとは思っていませんでした。もちろん「人よりも数段不器用」「要領が悪い」「時間がかかる」ことは覚悟していたけど、こんな「初歩」の段階で止まることは予想していませんでした。 ただこういうのって「知識」や「理屈」ではなく、「何度も何度も試してコツをつかんで、体で覚える」しかないので、とにかく「毎日地道に触り続ける」しかないだろうと思います。例えば今やペーパードライバーになってしまったけど、自動車教習所に通った際も、人の約2倍の時間がかかりました。どこで時間がかかったかというと、実は「1段階」、単に教習所の中をクルクル回るだけ、それが出来るまで7~10時間を要しました。どうしても「ハンドルを切るタイミング」が掴めなくって・・・。だけどある日、何もしてないのに突然「切るタイミング」が勝手に体に染みついてしまって、以降は普通の人より少し遅い程度で進行して「卒業」にこぎつけました。新しいことに挑戦した時「最初で大きく出遅れる」のがいつもの私のパターン。なので今は「感覚を掴む」ために毎日毎日触り続ける、それを実践していきたいと思っています。 というわけでネット上で「指を動かす訓練」をいくつか検索して実践しているこの数日、そんな中で「ドレミファソラシドを弾いてみよう」という項目があったのでちょっと弾いてみました。そこで気がついたこと、実はチューニングが合ってない=クリップ式チューナーの使い方を誤っていたよう。そこで今度はネットでクリップ式チューナーの使い方を検索して、改めてチューニングし直して…。というわけでまたチューニングの段階にまで逆戻り。やっぱり俺って要領が悪いなあと我ながら呆れてしまったけど「つまずいたら立ち止まる」「上手くいかなければ何度でも試す」「逆戻りしても焦らない」・・・。いつもの私のように「要領を掴めば一気に・・・」となるはずだと信じて、とにかく「毎日短時間でもいいので触り続ける」ことを実践していきたいと思います。 しかしあの2本の映画では、こんな苦労は描かれていなかったよなあ。でもネットで検索すると、「左手がうまく使えない」というのは実は初心者がぶち当たる「壁」の定番のよう。それを知って少し安心しました。もちろん私のは人よりもこの「壁」を乗り超えるのに時間はかかるでしょうけど…。 #
by stakec68
| 2016-01-07 01:15
| 自分自身の話
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ここはかつて存在した音楽サイトROCK'N ROLL PEOPLEの管理人が単なるひとりごとを書き捨てるだけのコンテンツとして誕生しました。今はひっそりと更新中 by stakec68 カレンダー
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