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落書き帳

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2016年 05月 23日

シリーズ:私はこうしてこのスポーツを見なくなった(バレーボール編)

 ここ数週間ほどバレーボールのオリンピック予選が行われているらしく、連日のように中継も行われている様子。バレーボールに関しては2003年にこんなもの(こちら)を2011年にはこんなもの(こちら)を書きました。残念ながら今の私にとっては「見ることのない競技」のひとつと化してしまいました。見たくない理由に関しては、リンク先の2つの過去ログで語りつくしていますが、敢えてきちんとまとめてみたいと思います。

興味を持って一気にはまった頃(1977~1980年頃)
 バレーボールといえば再放送だけどアニメの「アタックNo.1」やリアルタイムで見ていたドラマ「燃えろアタック」などの影響で、幼少の頃からルールを覚えて馴染みのあった競技。だけど、ホンモノのバレーボールの中継を見ることは全くありませんでした。

 そんな私が試合を見るようになったのは、フジテレビが1977年に独占放送をはじめたワールドカップがきっかけ。フジテレビではバラエティ番組や情報番組、ニュース番組すら使って「ゴリ押し宣伝」していたので、嫌でも気になってくる。小学校の同級生たちも毎日テレビで試合を見て、学校でもバレーボールの話題で持ちきりになったので「見ないわけにはいかない」と。最初は「あんまり騒ぐから」くらいに軽い気持ちで見ていたけど、だんだんのめり込んでいって…。そして福岡ローカルの番組の多くが、地元福岡県出身の横山樹理を「地元が生んだヒロイン」のようにもてはやすので、私も彼女のファンになってしまいました。この大会をきっかけに、女子の全日本の試合は「欠かさず」というほどではないにしろ、熱心に見るようになりました。

 モスクワ五輪でもメダルを期待されていたにもかかわらず、まさかのボイコットで出場すら叶わず。涙を流す横山、江上、三屋ら選手を見ているうちに、ますます応援したい気持ちが強くなりました。

最ものめり込んで見ていた時期(1981~1988頃)
 1980年頃までは男子の試合はあまり見なかったけど、1981年頃からは男子の全日本も見るようになりました。北九州が準フランチャイズだった新日鉄所属のエースアタッカー、田中幹保が全日本のエースだったこともあって、彼に注目して見ていました。女子に関しては横山が故障もあって引退、その後はレシーブの名手として鳴らした広瀬美代子が好きでした。

 一方で全日本だけでなく「ちょっと日本リーグも見てみようか」と思ったけど、女子は1982年頃からは極端な日立1強時代。毎年のように全勝優勝、しかも1セットも落とさず。ということでちょっとだけ見てみたけど、日本リーグにはほとんど興味が持てず、専ら「全日本のみ」を追う状態でした。

 1984年にはロス五輪。初めて見るオリンピックでのバレーボールということで楽しみにして見ていたけど、女子は銅メダルでまずまずだったものの、男子は惨敗。残念だったけど、この頃が一番一生懸命にテレビ観戦していた時期かもしれません。

 1985年になると男女ともにベテランが退いて世代交代。男子では熊田、川合らの若い世代が出場した1985年のユニバーシアード神戸大会で金メダル。特にフルセット、サイドアウトの連続で全く点が動かないなどの長い試合、劇的な試合が多くて熱くなったことも覚えています。だけど次第にそうした若い世代の選手をまるでアイドルのように扱うマスコミ、そしてそれに乗せられてチャラチャラした態度(当時の私にはそう映りました)の選手に嫌気がさして、男子の試合はあまり見なくなっていきました。

 一方で女子に関しては中田、石田、斉藤、益子らの若い世代の選手がルックスもよく、いい試合をしていたので相変わらずのめり込んで見ていました。その後、1988年のソウル五輪で史上初めてメダルを逃してしまって、以降は徐々に低迷期に入っていくけど、それでも当時の私(だけではないはず)にとってバレーボールの全日本女子チームは「球技のナショナルチームの最高峰」であり続けました。

 
低迷期に入って迷走? それでも興味は失わず(1989~1994頃)
 その後はオリンピックだけでなく、なぜか必ず日本で開催されるワールドカップでも成績が低迷。特にイタリアだの、ブラジルだの、それまでは格下だった国が強くなり・・・。にもかかわらず、日本は相変わらずの「東洋の魔女」時代の栄光や指導法を引きずったまま。明らかに「世界から取り残されている」のが分かりました。同時に1993年にはJリーグ開幕、さらに「ドーハの悲劇」もあって「球技のナショナルチームの最高峰」がサッカー日本代表に移って、人気も徐々に下降して…。それでも佐伯、山内、中野らお気に入りの選手もいたので、中継はそれなりに見ていました。「サッカーも見る、野球も見る、バレーも見る、それでいいじゃないか」、1994年頃の私はそう信じて疑いませんでした。

何かがおかしい・・・(1995~1998)
 1995年のフジテレビのワールドカップ中継から某事務所のタレントが登場するようになる。試合開始前にコートで踊り、歌い、レーザー光線が飛び交い、客席でペンライトが振られる。タイムアウト中にはマイクを使って会場に響き渡るように「さあ、みなさん、応援しましょう、ニッポン!」などと煽る。これじゃあ「スポーツの試合」じゃなく、バラエティ番組か遊園地のアトラクションじゃないか。試合を、選手を蔑ろにするような中継に唖然。でもこれは日本バレーボール連盟が推進したものと知って二度唖然。

 さらに日本リーグをプロ化しようとして失敗、バルセロナでの惨敗後、私が贔屓していた多くの選手が全日本を退く・・・。単に成績だけじゃなく、バレー界自体が「迷走」しているように映りました。そして全日本のユニフォームが、ブルマーからダサい短パンに変わる。確かに90年代以降「エロ目線」で見られることが多くなったけど、私は「戦う女性アスリート」の象徴だと思ってきたし、精悍に映っていたのでこれもガッカリ。次第に中継を見る機会も減っていきました。

ルール改悪、もう見ません!!(1999~)
 1999年、追い打ちをかける出来事が。バレーボールの醍醐味は、1985年ユニバーシアード神戸大会の男子の試合のように「サイドアウト=サーブ権が移るだけで点が動かない」時間の緊張感にあり、そう信じて疑いませんでした。そのサイドアウトの連続の中、ようやく点が動く、あの瞬間の興奮、盛り上がり、あれがあってこそのバレーボール。にもかかわらず「ラリーポイント制」なるルールの改悪。試合時間短縮のためというけど、決してあのサイドアウトの連続=無駄な時間なんかじゃない。それを分からないルール改悪に殺意を覚えました。あの時間、そしてその均衡を破る瞬間の興奮、それを味わえないバレーなど見たくない。

 そしてその直後の2000年、男女そろってシドニー五輪出場を逃す。ルール改悪、日本のバレーボール界全体の迷走、醜い中継、そして遂にオリンピックでメダルどころか、出場すらできない全日本。以降、全く見ることがなくなりました。

 一応、2回ほど「また見てみようかな」と思うような出来事はありました。2004年に女子全日本がアテネ五輪出場を決めた時。だけど「どれ、スポーツニュースでどの程度強いのか見てみるか」と思ってチャンネルを合わせたフジテレビの「すぽると」で、勘違いしたようにはしゃぐ選手を見た瞬間、「馬鹿じゃないの」と呆れて見る気が失せました(実際、番組中で解説の中田久美が選手を一喝)。あとは2007年のワールドカップの時。世代交代して新しい選手が出てきていると話題だったのでチャンネルを合わせてみました。だけど試合開始から15分程度で挫折。いや、選手は頑張っているのは分かるんだけど、やっぱり「サーブ権が移るだけで点が動く=ラリーポイント」はどうしても違和感があって、全くのめり込むことが出来ませんでした。

 ということで「見なくなった」理由はいっぱいあるけど、最も大きいのはラリーポイント制。このルールが続く限り、私はバレーボールを見ることもないでしょうし、もし見たとしても、のめり込んで夢中になることは出来ないと思います。2011年のログを書いた後、ネットでいろいろ見てみたけど、古いバレーボール・ファンの方の間でも、ラリーポイント制への批判的な意見はほとんどありませんでした。だとすれば、ルールが元に戻ることはまずないでしょう。やっぱり、私がバレーボールに戻ることは絶対にないんだろうと思います。

by stakec68 | 2016-05-23 00:14 | スポーツ・ネタ


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